著作集
『晴れた日には二杯めの珈琲』
藤本 研一
詩「あのときかもしれない」
「そうしてきみは、きみについてのぜんぶの
ことをじぶんできめなくちゃならなくなってい
ったのだった。つまり、ほかの誰にも代わっ
てもらえない一人の自分に、きみはなってい
った。きみはほかの誰にもならなかった。好
きだろうがきらいだろうが、きみという一人
の人間にしかなれなかった。そうと知ったと
き、そのときだったんだ。そのとき、きみは
もう、一人の子どもじゃなくて、一人のおと
なになってたんだ。」
長田弘(1984):詩集『深呼吸の必要』
prologue
本書は修士1年時代に「書きためた」文章を総整理するために編集された。基本的に私が大学2年からやっているブログに掲載した内容の「リサイクル」となっている。いままでにこういった形態で2冊の著作集を出してきた。本作は3冊目に当たる。アカデミックとはどういうことか(少しだけ)分かってきた23の春。
私はコーヒーが好きである。コーヒーのない生活は考えられない(ちょうどB級映画『フライング・ハイ2』でコーヒーが切れたことがアナウンスされた瞬間に大騒ぎする乗客に近い)。そのコーヒーは現在のグローバル資本による搾取構造の結果もたらされたものである。晴れた日に2杯目のコーヒーを飲む私という主体は、その共犯関係に在るわけだ。他人の肉を食っているようなものである。コーヒーの苦みは他者の持つ苦役の味だ。その味を私が好いていると言うことは、ある意味で他者の涙を飲んで生きる吸血鬼であるということもできる。
しかし、コーヒーには爽やかさというイメージがつきまとう。イリイチの言うコンヴィヴィアルな社会が成立した暁には、完全に「爽やか」といってもいいだろうが、現状でそれを言うことはコーヒー産業の持つ汚さが見えなくなる行為である。
他者の苦役が「爽やか」な物語に回収されているという事実を、私がコーヒーを飲みつつ考察する状況をどう変えて行けばいいのだろうか。学問にそんな力があるのだろうか。
昨年、『学校的日常の彼方へ』を編集した。いま読むと、あまりに「暗い」内容であり、自分のいじけた性質が今更ながらに露呈されたようである。今回の『晴れた日には二杯めの珈琲』は『学校的日常の彼方へ』の出涸らしではあるが、何故か前作よりは「明るく」なっている。大学院の世界ではひたすらに暗いことしか研究していないはずなのだが…。
今ではとてもこんな内容を書かない、と思われる内容もあるが、不思議なほど私の問題関心は一貫性をもっていたことに改めて気づいた。いつもいつも、文章を書く自分と読む自分は別の人物(他者)であることを実感する(ミード的にはまさにmeとしての「他者」であるからまさにその通りなのである)。
なお、出涸らしの珈琲は不味い。本書がそうなっていないことを祈るばかりである。
目次
prologue
目次
第1章 テキストの「裏」読み
テキスト論で読む小説『エミール』
少年のび太が「ドラえもん」にサヨナラする日
映画『ナイト・トーキョー・デイズ』〜会話分析の手法から見る〜
第2章 「シャドウ・ワーク」/「内職」論
学校の違和感について。
生徒によって「受けられた授業」とは何か? ~『うる星やつら』的論考~
シャドウ・ワーク概念の教育への適用についての一考察
高校進学校における「内職」行為に関する一考察 ~授業の再構成としての「内
職」論~
第3章 「贈与」/「悪」の教育論
異界との出会いとカイヨワ
映画『シングルマン』(2009)〜『こころ』との対比、あるいは死の贈与論〜
映画『真夜中のカーボーイ』(1969)からみる、「死」の贈与論。
ネクロフィリア・バイオフィリア論の教育学的可能性 —エーリッヒ・フロム『悪
について』の解釈から—
第4章 日々の随想・時々の想い
深夜バス車内での思索
橋本治(2001)、『20世紀(下)』、ちくま文庫、2004。
本を読むという、「主体」の行為
終戦記念日は一体いつか?~「最近の若者は終戦記念日を知らない」言説を破す
PISAの調査結果報道から見えてくること ~各紙社説の検討から~
学校で文章の書き方は教えられているのか?
第5章 フレイレVSイリイチ
Freire, Paulo(1992):里見実訳『希望の教育学』、太郎次郎社、2001。
子どもを子ども扱いする社会への批判。
Freire, Paulo(1992):里見実訳『希望の教育学』、太郎次郎社、2001。
イヴァン・イリッチ著、金子嗣郎訳『脱病院化社会 医療の限界』晶文社クラシ
ックス、1998年
里見実『パウロ・フレイレ「被抑圧者の教育学」を読む』太郎次郎社エディタス、
2010
『学校の悲しみ』としてのイリイチの教育観
奥地圭子『学校は必要か』NHK出版、1992
H小学校・研究授業の「思い出」。
原ひろ子『子どもの文化社会学』(晶文社、1979)
第6章 「暗い」自分への餞
努力シンドロームの彼方に。
努力教、あるいは努力「狂」。
隣家の窓。
「教育化」される社会。
たかが受験ごときで…
epilogue
第1章
テキストの「裏」読み
〜誤読されたメッセージも、メディアの伝えるメッセージである〜
テキスト論で読む小説『エミール』
ルソーの書いた教育小説『エミール』は、終始エミール少年の家庭教師の目線から書かれた物語である。これを一種の教育実践記録として読むとどのような読解が可能かを少し試みたい。
本書『エミール』では教員のみが語ることを許され、エミールの発言は教員によって記録されたもののみが残る。エミールには自由に発言することが許されなかった(発言してもどうせ教員の選んだ言葉・教員がきれいに解釈した言葉しか残らない)。小説内には掲載されていないだけで、実際のエミールは教員に相当反発をしていたのだと考えられる。小説『エミール』の世界では、教員が生殺与奪の権を持っている(窓ガラスを割ったエミールが凍える寸前までいくことからして、文字通りの意味を持つ)。教員の想定したルートを通らない限り、エミールは記録されることも物語ることもできない(消極教育を謳った小説『エミール』内の実践が、実は教員のこまかな計画のもとに行われていたとの指摘はかねてより多く存在する)。教員の教育計画上の予想通りに行かない場合、小説内では教員の失敗ではなく、エミール自身の失敗として処理される。
考えてみれば、小説『エミール』の成立する環境自身、異常なものである。エミールは田舎の一軒家に、両親から切り離され、尊敬を要求してくる教員と、二人だけの生活を幼少のころから押し付けられてきた。教員が幼児性愛者・同性愛者であった場合、エミールは記録されないが数知れない虐待を受けていた可能性が考えられる。教員が仮に変態性愛者であると考えた場合、小説『エミール』の持つ意味は変わってくる。エミールへの性的虐待の疑いをかけられた(実際に虐待しているかもしれないが)教員が、自分の正当化(言い訳)のためにエミールとの「関係」を美しく整理・記録・公刊した実践記録であった可能性が出て来るのだ。
ブルジョア家庭しか家庭教師を雇えない時代に、エミールは幼少時より家庭教師を付けられて育った。実家は相当な財力を持っているわけだ。しかし教員の教育の成果は、エミールを手工業者に変えただけであった。実家を継ぐという話も、「帝王学」を学ぶという話もいっさいなく、小説後半では両親・実家の姿が完全に消えていく。両親も実家も健在である場合、(a)エミールが教師にさらわれたと考えることも、(b)エミールが教員になつき実家を捨てたと考えることもできる。が、(a)・(b)両方とも我々の眼には不幸な出来事して読み取ることができる。家庭教師の自己認識的には最高の教育をおこなったはずであった。泥棒から貴族まで、教え子が望む生き方ができるようにする教育を、教員がエミールに与えたはずであった。その結果が自営業の手工業者とは、なんともお粗末な実践であったと言わざるを得ないのではないか。
実は『エミール』には続編が執筆されている。続編の『エミール』は教員ではなくエミール目線から書かれた書簡形式の小説である。恋人ソフィーとの苦い別れと教員への一応の感謝が述べられている。先ほどの実家との関係は、やはり文書として登場してこない。形式上、文書中ではエミールはこの書簡を出すかもしれないし、出さないかもしれないと留保して記録している。
この書簡をエミール少年自身が書いたと見る場合、①手紙を元教員に届け、元教員が公表したという見方と、②エミールは元教員に書簡を出さなかったが内容を公開した場合の2つのケースが想定される(読者の目に私的な書簡がさらされているということは、誰かが何らかの意図を持って公刊したというわけだ)。①の場合、書簡中の教員への賛辞は文字通りの意味をもつ。純粋にエミールは教員に感謝しているのだ。本書簡を読者が読めるのは当然①か②の手法によりどこかに公開されたためであるが、①の場合は教員の教育実践の最終的成功を暗示する内容になっている。
②の場合、話は逆になる。エミールは確かに教員に手紙を書いたのだが、教員に届けることを選らばなかった。教員への感謝の念も記された本書簡を届けたくはなかったのだ。けれど本書簡は公開され、読者は『ルソー全集』に収録されたものを目にすることができる。とすれば教員への感謝の念は本物ではなく、あくまで儀礼的に書いたものであるという読み方ができる。わざわざ本書簡を公開するということは、教員に届けるつもりではなく、形式的に書かれた教員への賛辞を世に示すことで結果的に家庭教師の教育実践の最終的失敗を示しているのである。エミールの復讐ともいえる。先に挙げたようにエミールが性的虐待を受けていた場合、教員への異議申し立ての意味合いがあったのだ。
補足
無論、これを矢野智司の「贈与」枠組みで説明することも可能であろう。「私」ことエミール自身が家庭教師の教育=贈与をあえて否定することで、自己の生き方を構築するという意志のあらわれを見てとることができるからだ(むしろ石原千秋の『こころ 大人になれなかった先生』の図式に近い)。
あるいは私はルソーの専門ではないのでわからないが、あまり有名でない『エミール』続編をルソーが実は公刊せず、手元に原稿として残っていたものを後世の研究者が整理して発刊したのかもしれない。その場合、積極的意図なしでエミールの書簡が公表されたという結果となる。その場合、①と②の図式が崩れてしまうことは言うまでもない。
少年のび太が「ドラえもん」にサヨナラする日
子どもは無根拠に「自己全能感」をもっている。その象徴がドラえもんだ。「自分は何でもできる」、それは「あんなこといいな/できたらいいな」の世界である。子どものような「自己全能感」を捨て(あきらめ)る、つまり「自分は何でも出来る」という思いを失うことが「大人になる」ことではないか。
少年のび太が成長するには、全能感を捨てることが必要だ。そして「にもかかわらず」に生きれるようになったとき、のび太は大人になることができる。
マンガ『ドラえもん』は、ドラえもん(という「自己全能感」を与える存在)を不要にするプロセスを描いたマンガなのだ。
内田樹もいうように、「自らの存在を不要にする」行為を続ける人は美しく見える。ドラえもんが少年のび太の成育史において一時の輝きをもつのは、ドラえもんという「全能感」を与える存在がやがてなくなることを、子どもたちが薄々感じているからだろう。
我々はドラえもんのいない日々を生きざるをえないのだ。自己の万能感を捨て、社会システムの構成員として日々を過ごす。
宮台真司が言っていたが、キリスト教における「隣人愛」の本当の意味は、〈親を捨て、友も捨て、隣人を捨てて、それでも「他者」を愛する〉潔い魂の姿勢のことである。
少年のび太が成長するには,やがてジャイアンやスネ夫のいる地域の少年コミュニティや「兄弟」や「全能感」(「兄弟」と「全能感」はドラえもんのもつロールモデルである)を捨てなければならないのだ。
石原千秋も言っているが、大人になるとは誰かを/何かを精神的意味で殺すことであるのだ。これを無事に行い、大人になったのび太はドラえもんや地域コミュニティでの懐かしき日々を「あんなことも、こんなこともあったな」としみじみ回想することができるのだ。輝かしい日々は一瞬の命を持つ。ドラえもんとの日々に、「止まれ時間よ、お前はあまりに美しい」と叫んだファウストこと少年のび太は、我に返り、いつもと同じ会社勤めを行う。子どものノビスケにドラえもんとの思い出を語るのが趣味となっているのである。
「あんなこといいな/できたらいいな」。その夢にあきらめを感じる時、そのときこそ我々がドラえもんを卒業する時である。
ドラえもんの存在は、自らを不要にするためにある。けれどそれをしたくないため、ドラえもんはのび太を甘やかす。「しょうがないなあ」と言いつつ。あるいは無意識に。ドラえもんは矛盾した存在なのである。それはしかし、教育の不可能生の比喩でもある。
学校の目的は、子どもが一人で学んでいけるようにする、つまり「社会化」のためにある。けれど「学校化」した学校は、本来個人的営みであった「学び」を、他者に依存させるものに変えてしまう。ドラえもんは自らを必要としてくれる年数が長ければ長いほど、長くのび太と過ごすことができる。
『ドラえもん』の中で時間が動かないのは、ドラえもんが密かに「無限の日々」を過ごさせる道具を使っているためではないか。それこそ、「終わりなき日常」を永遠のものとするために。映画『うる星やつら ビューティフルドリーマー』も、荒廃した社会でそれなりに楽しく過ごすこと、つまり「終わりなき日常」をヒロイン・ラムが願ったことで成立した物語である。
けれど我々はそれこそどこかで目を覚まし、「ドラえもんは不要だ」と高らかに宣言する日が必要だ。ドラえもんと違い、人間は「時間」というストックを食って生きている生物だからだ。
少年のび太がドラえもんに「サヨナラ」する日。それは止まっていた時間が動きだし、のび太が急速に成長し(子どもは段階的にでなく、「一気に」成長するものなのだ)、ドラえもんは寂しさを感じるが少し微笑み、涙を流しつつタイムマシンに飛び乗るのである。のび太が「サヨナラ」を告げるまで、『ドラえもん』は終らない。仮にドラえもんに最終回があるのなら、それはのび太が自分の成長のためにドラえもんに「サヨナラ」を告げる場となるはずだ。
あらゆる創造は、「別れ」からはじまる。
追記
ドラえもん研究者の間では、ドラえもん―のび太の「契約関係」は2度結び直されている、という通説がとられる。一度目はセワシが〈できの悪いご先祖を改善するため〉にドラえもんをのび太の元につれてきたとき(コミックス1巻「未来の国からはるばると」)に契約される。それはのび太の合意に関係なく、未来の子孫が一方的にドラえもんと言う世話人をのび太に引きつけるという契約であった。
2度目の契約。それは6巻「ドラえもん、帰る?」において未来に戻ってしまったドラえもん(「どうしても未来に帰らないと行けないんだ」とドラえもんは語る。セワシに何かあったのだろうか)の次の話が舞台である。7巻「帰ってきたドラえもん」において契約が結ばれる。それは「ウソ800」というウソが本当になると言う道具を使い、のび太は「ドラえもんは、もう戻ってこないのだ」という「ウソ」をつぶやく。それにより、ドラえもんは戻ってくるということになるのだ。このとき、ドラえもんーのび太の関係にセワシは介在していない。そのため、「帰ってきたドラえもん」以後のドラえもんはのび太の「兄弟」「友達」として描かれる。それ以前は「世話人」というドラえもん像なのだ(一部例外の箇所もある)。
よくいわれる点だが、大長編ドラえもん(要は映画のことです)はドラえもんの「全能」を否定する所からはじまる。役立つ道具がなかったり(『大魔境』)、ポケットが無くなったり(『夢幻三剣士』)、ドラえもんが壊れたり(『雲の王国』)様々なことが起こる。ドラえもんの映画を始めるには、全能の神であるドラえもんをどこかで否定しなければならないのだ。
これはのび太の人生においても同様である。のび太の物語は、『ドラえもん』では無時間モデルで描かれる。のび太はいつまでも小学校4年生のまま(アニメでは5年生のまま)いつまでも成長しない。この物語を再び動かすには、大長編を始めるのと同じプロセスが必要だ。それはドラえもんの「否定」である。
【コラム】
私共は不幸にして学校へもあがらず子守にまいりましたが先生やご主人のおかげ様で文字や子供のしつけ方などおしへていただき今日めんじょうをいただくことになりましてまことにうれしく思ひます。こののちは一そうべんきょうして御恩にむくひたいと思います。
明治四十四年三月二十五日
子守生徒総代
(原文は旧かなづかいが使用されている)
↑子守り学級に学んだ子どもの明治44年(1911)・卒業式答辞(旧開智小学校(長野県・
松本市)に置かれていた資料)。
当時、生活の都合上、子守りをしつつ学んだ一群の生徒たちがいた。写真を見ると、一つの教室に座机を並べ、赤ん坊を背負った子どもたちが座っていた。そんな状況で授業を行う(読み書きなどについてを)。教育のもつ、輝きを見るようだ。
不覚にも、泣きそうになった。自分はイリイチ流の脱学校論者であるはずなのに。
映画『ナイト・トーキョー・デイズ』〜会話分析の手法から見る〜
外国人が撮った日本の映画は、だいたいは「フシギな日本」を示している。海女がいる『007は二度死ぬ』、沖縄の寿司職人が実は刀鍛冶という『キルビル』(飛行機には刀ホルダーもついてましたね)はじめ、日本人としてみていて逆に面白くなってくる。さいきん新宿武蔵野館でみた本作も、正直な話、そんな感じの日本を描いていると思っていた。映画のオープニング。なんと寿司の女体盛り。日本人と白人の男性集団が寿司を食いつづけている。ああ、やっぱり「フシギな日本」を描いている…と思ったら日本人がこう言うではないか。
上司:〈なんで体温で温まった寿司を食わなきゃいかんのかね〉
部下:〈外国のお客様が描く日本の姿を示せばいいんですよ。接待なんですから、こうやっていい気分にさせておけば商談も上手くいきますよ〉
サイードの『オリエンタリズム』にも同様の話があった。東洋の観光地に来た西洋人はオリエンタリズム性を見いださなければ満足しないのだ。映画冒頭ではじめからこのオリエンタリズム性の種明かしをしているのだ。この映画の監督は、メタ的手法で「フシギな日本は描かないですよ」と示して見せてくれた。この技法は素晴らしい。冒頭の戦略が功を奏し、映画は「これって、日本映画じゃないのか」と思うほど、自然な出来だった。
本作のなかで興味深いのは、狂言回しをする「私」という人物である。ヒロイン・リュウの会話を録音し、家で何度も繰り返し聴く変な性癖を持っている。彼は「音」にこだわりをもち(そんな仕事をしている旨も語っていた)、リュウの会話を録音するようになったのも「ラーメンのスープを啜る音が母親によく似ていた」ということだった。…音フェチ、と言えなくもない。
「私」はリュウとよく会っており、その度ラーメンや居酒屋・おでん屋などで食事をする。リュウとその「恋人」との密会も、ラーメン屋がよく舞台となっている(そういえば内田樹の村上春樹論に、「村上の小説には飲食するシーンが多い」旨が書かれていた)。プラトンの時代から、高尚な会話もそうでない会話も「饗宴」という飲み食いの場で多く語られていた。「私」がスムーズにリュウの会話を録音するためにも、飲食という条件は必要なのである。
「私」はリュウの録音を聴き続ける。昼も夜も絶えず。その会話ではプライベートなことは何一つも話していないが、なぜか「私」はリュウの実の仕事(殺し屋)や秘密(依頼を受けた暗殺対象者と恋仲になる)をいつの間にか知るようになっている。どうでもいいことのようだが、その点が気になった。
社会学を学ぶものとして、「私」が実は社会学者であったのではないか、と推測している。社会学の調査手法にも「会話分析」というものがあり、その手法を使う研究者も「私」のように病的に同一の会話テープ(あるいはレコーダー)を聴き続ける。「私」すらやらなかった会話の文章化もする(こうやって作ったものをトランスクリプトという)。なぜ社会学者はこんなマニアックなことをするのか? それは会話の進め方・間の取り方のなかに隠された社会的関係が存在していることがあるためだ。
「私」は絶えずリュウの声をテープで聴く。「私」の会話をリュウがどのように受けているか分析している。長くそれを続けると、過去のリュウの会話と現在のリュウの会話の違いも分かってくる。何か大きな出来事があったのか、恋人ができたのか等など。人間は言葉を使い思考し、感情を表現する存在である以上、会話には本人の意思以上のものがあらわれる。
「私」が実は社会学者だと思うと、「私」という中年男性とリュウという若い女性との関係性も見えてくる。「私」はリュウに好意を抱いてはいるが恋愛感情はもっていない。リュウはリュウで〈会話を録音したがる変な男だが、まあ暇だから食事くらいしてあげようか〉くらいの感情をもっているのだろう。「友情」といえるかも微妙な関係であるが、調査者と被調査者の関係だと思うと自然になる。調査者は親しすぎる人にはズバズバ質問しにくいのだ。その点ではグラノベッターのいう「弱い紐帯の強み」に近い。人間は親しい人よりも「あまり知らない」人からの情報を重視するのだ(親しい人とは元になる情報が同じ場合が多く、真新しい情報がなくなってしまう)。ただ、こんな微妙な関係ではあっても「私」とリュウにとって2人で会う時間はお互いに有意義だったのではないか。双方、ベタベタしない付き合いを求めていたようではあるし。
第2章
「シャドウ・ワーク」/「内職」論
〜他律行為たるシャドウ・ワークと、それの「一種」としての「内職」考〜
学校の違和感について。
学校に通っていた頃、私はつねに違和感を抱え続けていた。例えば授業中。予習をするとその授業の内容は判ってしまうため、「なぜ授業を受けるのか」分からなかった。また受験に出ない教科を勉強する意味を、見出せなかった。数学の時間に日本史をやり、地学の時間に日本史をやり、現代社会の時間に日本史を勉強していたのが私であった。
学校の違和感には、2つの要素が原因であるように私は考える。ひとつは集団での学習が強制される点、もう一つは内藤朝雄の言う「中間集団全体主義」がクラスで働く点である。
集団での学習が強制されるのは、「マス」相手の授業である。生徒集団に対し、教員が1人で授業をする。授業を理解でき、知的好奇心を満足させられる生徒ならまだいい。けれど、そうでない生徒にとって授業は苦痛になる。ひとつは授業を理解できない生徒にとって。理解できないからこそ、退屈し寝てしまうか遊び始める(教室を出る者もいる)。もうひとつは授業の内容より先をやっているため、バカらしくて授業を聴けない生徒である。進学校では予備校や独学で先の内容をやっていることが多く、授業は退屈になってしまう。けれど、「全員で授業を受ける」ことが要請されるのが日本の授業だ。
もともと、学校のクラスでも授業に求める内容は人それぞれ違う。「もっと高度な内容を」求める生徒と、「もっとゆっくり分かりやすくやってほしい」という生徒とでは、需要が異なるのである。また近年流行の「マルチプル・インテリジェンス」(ハワード・ガードナー)という発想が示すように、人それぞれ「理解しやすい」学び方は違う。耳で聞くより声に出す方が理解できる生徒・目からでしか理解できない生徒・とにかく体や手を動かさないと理解できない生徒などが共存する空間において、単一のやり方が通用するはずがないのである。
けれど、近年の教育における公共性の議論では、「皆と同じ授業を受ける」必要性が要請されているように思われる。マイノリティやブルジョアが特別の学校に行くことは、社会の複雑さに出会うことがないまま成人してしまう危険性がある、と考えられている。佐藤学の「学びの共同体」実践は、多様な他者との対話・恊働による公共性の教育がその一例である。私はこれに胡散臭いものを感じる。「教育って、そんなにすごいものなのか?」と。ムリヤリでも「学びの共同体」で共通に活動をする程度のことで、公共性が学べるものなのか? そのことが、後述する「中間集団全体主義」のいじめを誘発することはないのか? もっと弊害のない方法はないのか? そんなことを議論することもなく、皆が一緒の授業を受けることで公共性を学ばせることが重視されている。確かに、「学びの共同体」のような実践には一定の効果があるのだろう。けれど、それがベストであるかというとそうでもない。その代案はラストに私が書く。
さてさて、学校の違和感についてもう一つの要素である「中間集団全体主義」を見てみよう。内藤朝雄は次のようにまとめている。「各人の人間存在が共同体を強いる集団や組織に全的に埋め込まれざるをえない強制傾向が、ある制度・政策的環境条件のもとで構造的に社会に繁茂している場合に、その社会を中間集団全体主義という」(内藤朝雄『いじめの社会理論』柏書房、2001年、21頁)。日本では学校や会社の中などに中間集団全体主義が入り込んでいる。この中間集団全体主義は共同体の構成員に有無を言わさず強制されるのだ。内藤は学校でのいじめはこの中間集団全体主義により、引き起こされていると述べている。
『学校が自由になる日』(雲母書房、2002年)の中では、内藤や宮台真司・藤井誠二が日本の学校のなかの中間集団全体主義について語っている。学校では学習するためにクラスメイトの顔色を伺う必要があったり、部活に一生懸命うちこんでいる「ふり」をする必要があったりする。「基本的に、学力の上下と人格の交わりをセットにする学校というシステムそのものが間違っているんです」(307頁)との内藤は発言している。つまり、本来学校では学習をする場所であるにも関わらず、イヤなクラスメイトとも「仲良く」することがないと学べない場所になっているのだ。クラスが学習のための便宜的集団ではなく、生活集団としても組織されている。そのことが学びをするためにクラスメイトの機嫌を見ないといけないという心理状態を引き起こす。
私もそれを経験した。授業中、積極的に手を挙げたい。しかし、クラスメイトから「目立っている」と言われたくないため手を挙げない。そこからいじめが起る危険性があるからだ。学習効率的に、これほど不合理なことはない(だからこそ、分からない点を質問できるという塾に需要が生まれるのだろう。塾産業は日本の学校が中間集団全体主義のため、学びを行うことが難しいために存在するのかもしれない)。
中間集団全体主義の例として、『滝山コミューン1974』(原武史、2007年)という作品がある。著者が小学生時代のことを回想して描いた記録だ。小学校のクラスの「自治」が極端にまで成立したときの様子が描かれている(もっとも、この自治は教員が生徒を操りながら作り出したものである点がミソである)。本作のハイライトは、小学校の自治活動に批判的であった「私」が、友人の朝倉に小会議室に呼び出される場面である。引用してみよう。
小会議室に入ると、代表児童委員会の役員や各種委員会の委員長、4年以上の学級委員が、示し合わせたかのように着席していた。ただこのとき、片山先生や中村美由紀(藤本注 当時のこの小学校の児童会長である)がいたかどうかははっきりしない。
朝倉はまず、九月の代表児童委員会で秋季大運動会の企画立案を批判するなど、「民主的集団」を攪乱してきた私の「罪状」を次々と読み上げた。その上で、この場できちんと自己批判をするべきであると、例のよく通る声で主張した。
六八年から六九年にかけての大学闘争では、全共闘の学生が大衆団交やつるし上げを通して、大学のトップや教授に自己批判を強要する「追及集会」がしばしば開かれたが、驚くべきことに、全生研でもこのような行為を「追及」ではなく「追求」と呼び、積極的に認めていたのである。(『滝山コミューン1974』255~256頁)
学校という中間集団が、一人の児童に「自己批判」を要求する。中間集団全体主義の典型と言える事態であろう。実際は、これほど分かりやすく個人に強要を行うことはないが、集団への帰属を個人に無理やり行わせることが多いという点で、類似する点があるはずである。
このあと原は自己批判を拒否してドアを開けて逃げる。「「追求」を迫られたのは一度きりで、その後は朝倉が私に何か言ってくることもなかったのものの、校庭で4年の学級員から石を投げられたときにはさすがに愕然とした。私はまるで、学校全体を敵に回したような気分に陥り、特に七五年に入ってからは、受験勉強のためと称して学校を時々休むようになった」(258頁)。中間集団が個人を排斥するのである。
注目すべきは朝倉という存在である。朝倉は以前、原と親しい友人であった。そんな朝倉が、豹変したように原を吊るし上げの場に呼び寄せる。人間を変化させる中間集団全体主義の恐ろしさである(本書で何度も「違和感」という言葉が出てくる。学校の違和感を探るにあたり、本書は重要な書物であろう)。
以上、学校の違和感の理由として集団での学習がある点と、中間集団全体主義が存在する点を見てきた。両者は相互に関係し合い、いまの学校のクラスで学習を行うことが難しいことを示している。
私はこの状況の改善には、個別学習が必要であると考える。それは、人それぞれ教育に要する需要が異なるためである。またクラスの解体も必要であろう。大学のように、授業ごとに生徒が集まるようにするのである。都立・山吹高校のように、無学年・単位制の学校も存在する。
中間集団全体主義が広がる日本の学校において、学びを成立させるためには授業選択制も必要となるであろう。クラスの中に学びを閉じ込めてはならない。
生徒によって「受けられた授業」とは何か?~『うる星やつら』的論考~
学校空間は、生徒集団によって自分たちの生活文脈の中に再構成される。学校の各部署の名前は学校側のものと生徒によって命名されたものの間に落差がある。例えば、我が母校の寮では「みどじゅう」という場所が存在した。集会場の前にある、緑色の絨毯のひかれた空間のことをいう。空間と同じく、生徒たちは学校での「時間」も、自分たちの相応しい文脈のもとに「再構成」する。
退屈な授業時間。一斉授業の名の下、聞いても理解しがたい授業が教授される。アニメ『うる星やつら』では担任の温泉先生(♨マーク)はまさに英語の教師であり、退屈な文法の授業を行う。どんなに授業の仕方が下手であろうと、生徒はそれに従わなければならない(評価権は温泉先生にある)。それゆえ、諸星あたるを始めとするキャラクターたちはいかにも退屈そうに彼の授業に「付き合う」。その付き合い方が、授業の「再構成」である。あたるはテキストを目隠しにして「早弁」(ハヤベン)をする。教員が黒板に向かう間に、こっそりと授業を抜け出す。そこまでしなくても、生徒たちはあるいは寝、あるいは「内職」をし、紙将棋もすれば紙飛行機も飛ばし、私語も行う(初期のアニメではラムがあたるに抱きついたまま授業が受けられる)。 彼らにとって教員の語りはBGM。音が強くなるときだけ聞き耳を立てる。
それでも授業は苦痛だ。それゆえ退屈な日常(学校的日常)では「祝祭」が求められ、ラムやその関係者により授業がめちゃくちゃにされることが心待ちにされる(そうでなければ、こんなにトラブルやドタバタしかない学校に通い続ける義理はない)。 「祝祭」性を求めるがゆえに、どんな学校にも「七不思議」などの怪談話が創作される。これらは学校という退屈な日常を、楽しくすごすために作られた物語なのである。ストーリーテラーの周りには、学校的日常に退屈した生徒たちが集まり、耳を傾ける。『平家物語』を語った琵琶法師のような現代版・吟遊詩人なのである。
学校は「学校」として機能しない。それは生徒によって「学校」は再構成され、自分たちに都合のいいものに作り替えられるからである。そのために、教員によって考えられた「学校」観と、生徒によって見られた「学校」観は常に相違するのである。教員にとって「問題」な生徒は、必ずしも問題児ではない。逆もしかりで、教員側からの「優等生」と、生徒にとっての「優等生」は評価観点がずれている。
教員によってなされる授業・提供される学校空間は、生徒にとって過ごしやすい必然性はない。それゆえ、生徒たちは適当に遊び、「内職」し、「祝祭」性を求める中で学校的日常をやり過ごし、卒業して行くのだ。それが悪いとはいえない。だいたい、中高生にとっての学校の「思い出」の大部分は友人関係や部活動に集約される。そしてこの二つにはあまり教員側の意図が入り込まないのだ(学習指導要領では「友人関係」も「部活動」も規定はない)。
追記
私語や手紙回し、早弁によって再構成された授業。再構成でもしなければ苦痛で仕方がない時間。生徒にとって授業を受けることは、いわば「労働」なのである。では、ボーッと過ごされた時間・机の上でなんとなくやり過ごした学校での時間は、生徒の生育史のうえにおいて「役立った」と言えるのであろうか? 内田樹も『下流志向』で「不快貨幣」の話を出している。
シャドウ・ワーク概念の教育への適用についての一考察
0、目次
本稿は以下のように構成されている。
1、はじめに
2、シャドウ・ワークとは何か
(1)教育におけるシャドウ・ワーク性
(2)学習行為のシャドウ・ワーク性
(3)大学生のシャドウ・ワークとそれ以外のシャドウ・ワークの違い
(4)専門家依存としてのシャドウ・ワーク
3、シャドウ・ワーク概念への批判
(1)近代否定・中世回帰志向のイリイチ
(2)教育の否定
4、教育への展望
(1) 「コンヴィヴィアリティのための道具」としての教育
(2) CIDOCの実践に見る、イリイチの学習観
(3) CIDOCでの実践の評価
5、終わりに
6、今後の課題
7、参考文献
1、はじめに
オーストリアの思想家イバン・イリイチ(Ivan Illich 1926-2002)は「シャドウ・ワーク 」(shadow-work)という概念を提唱している。これは当初ジェンダー 論の文脈で用いられたものであり、今まで自明視されていた主婦業を影の経済・苦界の経済として概念化したという意義がある。現在では一般用語として使用される機会も増えている(例えば関 2002、大西2002)。
イリイチは著作の中において、教育に対してもシャドウ・ワーク概念が適合されると示唆する。「賃労働を補完するこの労働を、私は〈シャドウ・ワーク〉と呼ぶ。これには、女性が家やアパートで行う大部分の家事、買い物に関係する諸活動、家で学生たちがやたらにつめこむ試験勉強、通勤に費やされる骨折りなどが含まれる」(Illich 1981:207-208)。学校の試験が生徒の自宅での勉強という労働によって補完されていることが示されているわけだ。
イリイチはシャドウ・ワーク概念が教育に関しても当てはまるということを指摘している。しかし、具体的に教育のどの側面がシャドウ・ワークに当たるかを提示してはいない。シャドウ・ワーク概念の教育への適用については山本(1983、2009a)の研究があるが、山本は適用について語るのみであり、そもそもなぜシャドウ・ワーク概念をイリイチが教育に対し当てはめようとしたのかの検討はなされていない。そのため、本稿の狙いはこの解決にある。
近年に入り、『生きる意味』や『生きる希望』といったイリイチ最晩年の著書が刊行・翻訳された。それにより、イリイチ思想を彼の著作全体から探ることが可能になった。そのため、本稿では、晩年のイリイチの著作も参照しつつ、教育におけるシャドウ・ワーク概念の教育への適用可能性について考察する。
なおイリイチの著作の邦訳名は、研究者によって多様なものが使用されている。例えば山本(2009b)はイリイチの“Dischooling Society”を『脱学校の社会』でなく「学校のない社会」と訳す。同様に山本は『脱病院化社会』も「医療ネメシス」と訳している。本稿では混乱を避けるため邦訳の表題をそのまま使用している。
2、シャドウ・ワークとは何か
ここではイリイチのシャドウ・ワーク概念の整理と、その教育への適用可能性を見ていく。
(1)教育におけるシャドウ・ワーク性
まず、シャドウ・ワーク についてのイリイチの定義からみていく。本概念はイリイチ自身が様々に意味を拡大/拡散させながら使用しているので、『ジェンダー』でのシャドウ・ワーク概念の整理から論をすすめていく。
シャドウ・ワークとは「財やサーヴィスの生産とちがって、商品の消費者によって、とくに消費的な世帯でなされるもの」(Illich 1982:94)であり、「消費者が、買い入れた商品を使用可能な財に転換する労働」(同)を意味する。「買い入れた商品に、それが使用に適するようになる価値を付加するために支出されねばならぬ時間、煩労、努力を、シャドウ・ワークと名づけるのである」(同)。つまり「シャドウ・ワークとは、人々が商品を媒介に自分たちのニーズをみたそうとすればするほど従事しなければならぬ活動」(同)なのである。それは「ますます孤独で、ますます生気のない、ますます非人格的な、ますます時間濫費的なものとなってきている」(同:95)。
イリイチは論を教育にも広げて行う。前近代社会において、子どもはヴァナキュラー(土着、あるいは場所ごとに異なった、との意味)な言語と文化を学習していた。みな方言を話し、将来的には自分のいる共同体の一員になることが期待されていたのだ。近代社会になり、その共同体に学校「教育」が入り込む。近代学校制度はヴァナキュラーな言語でなく、標準語化された「国語」が習得されるシステムである。また近代社会の構成員を作り出すプロセスでもある。近代社会が産業社会である以上、近代国民化される子どもたちは、「労働力が資本化されるプロセス」(同:100)に巻き込まれ、近代社会を構成する国民に社会化されていく。
この近代教育の結果、保護者も学校教育に協力的であることが要請されるようになる。イリイチの言う、「教育制度の枠内で教師の助手となっている」(同)状況が現出するのだ。早く子どもが「国民」や労働主体・消費主体たる「ホモ・エコノミクス(経済人間)」に社会化されるよう、家庭にも学校的あり方が要請されるのである 。
つまり、教育におけるシャドウ・ワークとは、国家の要請する「国民」と、労働主体・消費主体たる「ホモ・エコノミクス」とに子どもを形成するプロセスそれ自体を意味する。後に労働主体・消費主体になるよう、また「国民」になるよう、子どもたちが働きかけられる営みをシャドウ・ワークというのである。『脱学校の社会』を書いたイリイチの問題意識は本概念にもつながっており、近代教育の否定ないし教育行為の否定を訴えたのがシャドウ・ワークなのである。
イリイチはコンピュータ技術が進んだ社会ではシャドウ・ワークという「新型経済活動」(同:96)が「生産的労働よりも経済的にもっと根本的なもの」になると指摘をしている。教育は近代社会の構成員を作り出す故に、教育におけるシャドウ・ワーク性が社会を支えることになる。まして、後期近代と言われる現代は、前期近代に比べ情報化・再帰性が飛躍的に高まった。前期近代の学校には要請されることのなかった「キャリア教育」や「総合学習」などが学校に求められるようになったことはその表れである。
(2)学習行為のシャドウ・ワーク性
(1)で見てきた内容が基本的な教育へのシャドウ・ワーク概念の適用だが、イリイチはそれを拡大させて使用していると述べた。(2)においてその具体例として学習行為のシャドウ・ワーク性を見ていく。
シャドウ・ワークは他律の行為だが、自ら進んで行う従属の行為であるという特徴がある。賃労働には給料が発生する。しかし、シャドウ・ワークは無償の行為である。その上、シャドウ・ワークの担い手が逆に金を出すことで経済社会を支えることになる。具体的な例でいえば、消費者は企業の新製品を受動的に受け取るという意味のシャドウ・ワークを行っているといえる。これを学校において言えば、教員の一方的な授業を黙って受け取るという行為がシャドウ・ワークとなる((4)で見ていく「専門家支配」でもある)。
賃労働にとって人は選択されるが、一方〈シャドウ・ワーク〉の場合は、人はそのなかに置かれる。時間、労苦、さらに尊厳の喪失が、支払われることなく強要される。けれども、よりいっそう経済成長をすすめるためには、〈シャドウ・ワーク〉の支払われることのない自己開発が、ますます賃労働よりも重要なものになってくる。(Illich 1981:209)
教員によってなされる教育サービスは、生徒のシャドウ・ワークによって支えられているのだ。山本(2009a)は、次のようにシャドウ・ワークを解説する。
隠れた支払われない労働がある、それはサービス労働の裏側に構成されている、たとえば教師のサービス労働にたいして生徒の消費ワークがある、(中略)これらは「させられている」行為、他律行為の働きかけによってなされている受け身的な消費行動になっている。このインダストリアルなサービス商品を消費していると考えられてきたものを、隠れたシャドウのワークであると切り替えたのだ。つまり、産業的な価値を産み出しているワークである、消費ではなく生産であるという切り替えである。(山本 2009:238頁)
学校での授業は、傍目から見れば教育の受け手である生徒がサービスを受動的に消費しているように見える。本当はそうではなく、教育サービスを受けることはシャドウ・ワークという「生産」を行っていることなのだ。生徒たちは後に「ホモ・エコノミクス」や「国民」になるよう、自らを生産しているのである。他律行為であるシャドウ・ワークは教育によって個人に内面化されるため、この従属は自発的に行われることになる。
(3)大学生のシャドウ・ワークとそれ以外のシャドウ・ワークの違い
イリイチは大学生のシャドウ・ワークとそれ以外のシャドウ・ワークとを立て分けている。「現代社会での労働のいくつかの形は、最初は支払われないもののようにみえても、最終的には金銭的評価で高い報酬となる。大学の学習は往々にしてよい例である。(中略)一般には、大学卒業の人間の生涯所得のほうが、卒業しなかった彼の兄弟、姉妹たちの所得よりもはるかに高いだろう」(Illich 1981a:265)。
この人的資本論的認識のために、大学生は「専業主婦、中等学校の生徒、パートタイムの通勤者といった本物の〈シャドウ・ワーカーズ〉にあてはまるものではない」(1981a:266)シャドウ・ワーカーとなる。つまり、大学生はいま自分たちが大学で単位獲得のために行うシャドウ・ワークこそが将来「大卒」として得られる所得につながると認識している。その点が、例として挙がった「専業主婦、中等学校の生徒、パートタイムの通勤者」たちと違う点である。大学生が単位獲得のために行うシャドウ・ワーク(=授業への参加や卒業するための学習)は、将来において給与が支払われることを見越した行為なのである。山本(1983)も大学生たちを指して「彼らは支払われないが、特定の時間拘束され相当のコストがその教育にかけられている。大学生はそれによって社会的な特権ないし収入の価値を自ら高めている」(山本 1983:214)と指摘する。山本の指摘は、現在の大学では就職活動のために各種資格取得を目指す大学生の姿に見て取ることができる。
まとめると、大学生は将来の稼ぎを見越して〈シャドウ・ワーク〉的学習を行う傾向があるというのが、イリイチの述べた「大学生のシャドウ・ワーク」の中身である。
(4)専門家依存としてのシャドウ・ワーク
では、大学生と違う「専業主婦、中等学校の生徒、パートタイムの通勤者」たちのシャドウ・ワークにはどのような意味が込められているのか。先の引用文の後、スウェーデンにおいて主婦の一部に賃金が支払われるようになったことをイリイチは指摘するが、まさにそのことによって「スウェーデンは、社会的なサーヴィスにおける訓練された〈シャドウ・ワーカーズ(奉仕家)〉を雇用する試みに、新しい世界を導いているようだ」(Illich 1981a:267)と皮肉を述べる 。「これは、社会的部門における〈シャドウ・ワーク〉を賃労働より一層早く増加させる計画である」(同)と続けている。
この部分を理解するには、イリイチ最晩年の著書『生きる希望』に登場する新約聖書「ルカによる福音書」10章25節にある「善きサマリア人」の寓話とイリイチの解説文を持ってくる必要がある。この寓話はイエスが律法学者の悪意ある質問に対し語った物語である。強盗に襲われ、傷ついたユダヤ人が道に倒れている。ユダヤのラビはそれを目にしつつも素通りをしていった。その後に通りかかったのがサマリア人である。ユダヤと敵対関係にあるにも関わらず、そのサマリア人は傷ついたユダヤ人に施しの手を差し伸べた、という内容だ。
イリイチはこの物語が‘傷つき倒れた人間にはこのように手助けをすべきだ’という画一的な救済のやり方を示すものであると、一般的に解釈されるようになったことを批判する。「寝る場所を必要とする人々に対して、なにがしかの制度、豪勢なホテルでないにしても、特殊な簡易宿泊所があるべきだとするのは栄光に満ちたキリスト教西欧の観念です。こうして、困っている人々すべてに対して開かれた試みが、客人に厚誼を与える気持ちの低下とケアを与える制度によって置き換えられることに帰結するのです」(Illich 2005:108)。
初期のキリスト教において、困窮者の救済は「我と汝」の関係で行われていた。個々の他者に応じた対応の仕方であり、吉本隆明のいう「対幻想 」の段階である。共同幻想的に画一的な発想で他者に対するのでなく、対幻想的に個々の他者に応じた対応の仕方をこそ、イリイチは主張したのであった。「人間の関係は、二人の人間の間でなされる自由な創造としてしかありえません」(Illich 2005:102頁)。それが「困っている人々すべて」という抽象化および制度化をした結果、他者性が薄れ、個々人への救済という意味合いが弱まってしまう。結果的に、「共同幻想」として他者への画一的救済を目指すようになったのだ。画一的という意味合いで、山本哲士はサービス批判を行う(山本 2008)が、個々の他者に応じた関係、つまり「我と汝」関係に当てはまるものが山本のいうホスピタリティにあたるのである。
まとめると、「善きサマリア人」の寓話からイリイチが述べたのは個別性が失われ、画一的サービスが行われるようになることへの指摘であった。専業主婦の家事労働に政府が賃金を出す。これは社会サービスの一部に専業主婦が吸収されたことでもある。行政の社会サービスの代理人として「訓練された〈シャドウ・ワーカーズ(奉仕家)〉」が要求されるゆえんなのだ。専門家たちが作った制度に人々が従わされる「価値の制度化」の状態において、人々は専門家のいうがままに行為を行うようになる。「素人、言い換えると客を自分たち(藤本注 ここでは専門家のこと)の監視のもとに無報酬で働く助手として引き入れようと躍起になっている」(同:12)のだ。
山本(1983)はここでいったような「家事に支払いをする」ことや「通勤時間を労働力の拘束において定義し、交通費のほかに賃金をうけとっている」(山本 1983:214)ことを指摘したのち、賃労働体制が転換してきたことを「労働組合や社会革命がすでに忘れてしまっているのも、この「シャドウ・ワーク」が編制してきた生活世界のためである」(同:215)と述べている。
先に大学生のシャドウ・ワークを見てきたが、大学生でない人びとのシャドウ・ワークは専門家の作り出す制度につき従わされるということも意味している。つまり、「専門家支配」(Illich 1978)が行われ、自助としてのシャドウ・ワークを行わされるのである。
イリイチの『専門家時代の幻想』において、専門家と呼ばれる存在への批判が行われた。本来、人々が自分たちで行っていた領域に「専門家」が入り込み、専門家支配に従属してしまうことを批判するのである。『脱病院化社会』においては医者が健康・不健康を定める権力を手に入れたことをイリイチは指摘する(Illich 1975)。同様に、『脱学校の社会』でも「学校化」とは「学習のほとんどは教えられたことの結果だ」と認識することだ、と指摘している(Illich 1971)。教育専門家による教授/教育活動の独占(「根元的独占」あるいはラディカル独占)を否定し、自主・自律的な学びを志向するのがイリイチである。教育専門家への依存も、教育のシャドウ・ワーク性である。この専門家の存在があるからこそ、学校制度に頼らず自分たちで学ぶということが危険なことであると非難されることになる。フリースクールの実践も、学校制度という専門家支配の構造を揺るがす存在であるため批判され続けてきた経緯がある。奥地(2005)も、フリースクールを東京で作った際、教育委員会やマスコミなどによる批判が集まったことを述べている。
まとめると、シャドウ・ワークを成立させる背景には専門家依存が挙げられる。この専門家依存は近代社会・産業社会が要請するものである。シャドウ・ワーク概念は近代社会批判につながると述べたが、専門家依存への批判という点からも近代社会への批判を行っているということができる。
イリイチは大学生のシャドウ・ワークのみを他と区別したが、大学教育がユニバーサル化した現在の状況を見ると、大学生のシャドウ・ワークとその他を分ける必要性は下がってきているように考えられる。大学生に対しても「それ以外のシャドウ・ワーク」と同じ専門家支配が当てはまっているのである。例えば、現代社会では一コンピュータ企業の作り出す「ワード」や「エクセル」・「パワーポイント」等のソフトの操作法を学校でもパソコン教室でも学習させられる状況がある。人々は「ワード」・「エクセル」・「パワーポイント」を自在に活用できるようになることを期待されるのだ。企業にとっては顧客を会社の活動を支える助手であるかのように動かすことができる。その意味で「自助」としてのシャドウ・ワークを行っていると認識することができる。また「専門家支配」を行うことも可能になる。
3、シャドウ・ワーク概念への批判
イリイチのシャドウ・ワーク概念を見てきたが、疑問も生じる。本節では2点にわけてイリイチのシャドウ・ワーク概念への批判を行っていく。
(1)近代否定・中世回帰志向のイリイチ
イリイチはシャドウ・ワークの対概念には「生活の自立・自存の仕事」(Illich 1981:51)、すなわちコンヴィヴィアリティ (conviviality)があると述べる。このコンヴィヴィアリティは「自立共生」ないし「相互親和」と訳され、主として共同体内での助け合いを描いた概念である。コンヴィヴィアリティのある社会こそ、イリイチが思い描いた理想社会である。このコンヴィヴィアリティが成立していた時期・成立する時期の「助け合い」を、イリイチはシャドウ・ワークであるとは述べていない。確かにここまで見てきたように、シャドウ・ワーク概念は近代社会・産業社会批判のための概念であった。しかし、シャドウ・ワーク概念の中身を検討すると、共同体社会・中世社会にもシャドウ・ワークが存在するのではないかと述べることができる。近代の社会におけるホモ・エコノミクス化が「シャドウ・ワーク」ならば、共同体のための教育もまた「シャドウ・ワーク」となるのではないかと考えられるのである。
コンヴィヴィアリティ概念では、他者性を担保し他者とともに生きる姿勢が述べられている。そうであれば、必然的に他者同士の協力関係を想定においていることになる。これら無償による共同体内の「助け合い」行為は、確かにイリイチのいうような産業社会の手段にはなっていない。しかし、この助け合いを共同体維持のためのシャドウ・ワークであると言うことも可能なはずである。この部分の詳細は次の「教育の否定」で見ていく。
(2)教育の否定
第2の批判点として、ジェンダー役割的に母親が子育てをおこなう家庭教育の無給性とシャドウ・ワークの関係を取り上げる。イリイチは「現在ある部分の婦人運動者が、母親たちを無給の教育業務に携わらせることに批判を向けていますが、これは、工業化社会体制に対する今日可能な最も根本的批判の好例でありましょう」(Illich 1980:176)と述べている。理由は「今日、無給労働力が(男も女も)、せっせと教育を受けており、それはますます多くの人間を彼らの自立自存から引き離し、僅かばかりの賃労働と、広範囲のシャドウ・ワークをするための教育なのです」を挙げている。彼が「無給の教育」を批判するのは、子どもが産業社会システムに取り入れられること、すなわち消費主体化・労働者化することを進めてしまうからである。
イリイチは次のようなアジテーションを雑誌上で行っている。「教育への対案は、このような意味で、共同体の側からのフォーラム(集会)要求です。断乎として、消費欲求とともに教育を解消して、自立自存を築き上げることを求め続けましょう」(Illich 1980:176)。この主張に対し、まずは自立自存(=コンヴィヴィアル)を成立させるのは一人ひとりの構成員であることを考える必要がある。この共同体の構成員の育成は、まさに教育によるのではないのか。パーソンズのAGIL図式でいう「統合機能」や「パターン維持・緊張緩和」作用たる教育行為がなければ社会システムは維持されない。確かに、言葉上で「教える」・「教育」という概念のない社会は存在する。原(1979)がヘアー・インディアンの社会に「教える」を意味する単語がない点を指摘しているからだ。しかし、そのことは教育作用が当該社会に存在しないことを意味するわけではない。部族内の人間が「教える」行為や「教育」行為だと認識しないだけであり、部外者である原はヘアー・インディアン社会に「教える」や「教育」に当てはまる行為を見いだしているからだ。言葉としての「教育」を無くすことは可能であっても、社会システム維持にかならず構成員の再生産機能が必要である以上、イリイチの主張をそのまま認めるわけにはいかない。つまり、学校「教育」を行う必然性はないが、教育なしで構成員の育成が可能であるわけではないのである。少なくとも、残存する社会システムには何らかの教育機能があったゆえに存在し続けていることを考える必要がある。
イリイチが理想とする、共同体の構成員となるための教育活動は中世においてもおこなわれてきた。まさに個人の意志など関係なく、その「場所」の構成員になるための教育活動が「学校」制度を使わなくとも成立していたのだ。そうでなければ後継者を欠き、当該社会は消滅している。この構成員になるために行われる教育行為はシャドウ・ワークではないのか。シャドウ・ワーク自体が産業社会のみを批判するのであるならば成立するが、イリイチの著書群を見通すと近代社会・産業社会におけるシャドウ・ワークの状況へ批判と、コンヴィヴィアルな共同体での人々の暮らしについてのイリイチの説明はほぼ同様の内容となっている側面がある。
イリイチは、ソーシャル なものを排し、場所のパブリックに生きる姿勢の提唱をした。つまりイリイチにとって国家や近代社会(=ソーシャル)の体制維持は想定にないのである。それゆえに“Anarchist Studies”(『アナーキスト研究』)にイリイチの名前が載ることになったのだ。近代社会が必要とする人材にならないこと/なるのを拒否することが、究極のところでのシャドウ・ワーク性を排した教育の実現と言うことになる。しかし、これでは現状の社会体制の中では何も言ったことにならない。近代国家というソーシャルなものをなくしたあり方は、前近代、つまり中世の復興を意図しているということである。イリイチの想定にそもそも近代社会の維持はない。また、イリイチの教育批判の文脈を見ると、仮に中世社会への回帰を図ることができたとしても、当該社会の維持を行うことは不可能だと言わざるを得なくなる。つまり、イリイチの主張を検討すると社会の破壊を意図していると言わざるをえない。なお、イリイチは『脱学校の社会』以後、教育へ否定的まなざしを持つようになり、『対話・教育を超えて』において教育を否定するようになった(Illich/Freire 1980)。
要するに、共同体内に教育作用が存在したことをイリイチは見落としているのである。中世回帰がイリイチ思想の特徴である以上、イリイチの主張をそのまま受け入れることは近代社会の破壊を意味する。必要に応じてイリイチの主張を整理して受け入れていく必要がある所以である。
イリイチの発想にはコンヴィヴィアルな社会(convivial society)という理想の共同体社会が描かれているが、ユートピアは実現不可能な故にユートピアであることを思い返さねばならない。教育を否定してユートピアに生きるよう人を煽動するイリイチには、ユートピアを成立させる構成員の教育には無頓着なのである。
4、教育への展望
ここまで、シャドウ・ワーク概念の整理とその批判を見てきた。シャドウ・ワーク概念は近代社会だけでなく、そもそも人が共同体をつくっていた頃の「教育」行為すら批判する働きがある。しかし、その射程を近代教育への批判のみに向けて使用した際、現在の教育実践へのパースペクティブとして使用できる箇所が見いだせると考えられる。
そのため、ここでは近代教育批判として、自由な学びを志向する立場からイリイチを読み返していく。
(1)「コンヴィヴィアリティのための道具」としての教育
イリイチは、シャドウ・ワークから「開発を逆転させること、消費財をその人自身の行動におきかえること、産業的な道具を生き生きとした共生の道具に変えること」(Illich 1981a:51)によってコンヴィヴィアリティが達成され、「賃労働と〈シャドウ・ワーク〉はそれこそ影をひそめるだろう」(同)と述べている。何故なら「従順な消費として評価されるよりも、むしろ主として、創意に富んだ活動のための手段として評価されるからである」(同:52)。象徴的な例として「レコードよりもギターが、教室よりも図書館が、スーパーマーケットで選んだものよりは裏庭でとれたもののほうが、価値があるものとされる」(同)ようになるとまとめている。
イリイチはこの状態に達するための条件として「労働者が道具および資源の自由な消費者となる場合に限る」(同)と指摘している。「道具 」(tool)というのはイリイチ思想において独自の位置を持つ。「道具とは、ある目的を達成するために設計された装置」(Illich 1992:161)を意味する言葉である。「一定の強度を超えて発達する場合、道具というものはいかに不可避的に集団から目的へと転じてしまい、目的達成の可能性を阻むことになってしまう」(同)という「逆生産性」(couterproductivity)が発生することとなる。この状態をもたらす制度を「操作的制度」(manipulative institution)と呼ぶ。「一定の強度を上回って生長するとき、不可避的に、その利点を享受しうる人びとよりも多数の人びとを、その道具がつくられた目的から遠ざけてしまうという事実をあらわすのが、この概念」(Illich 1992:163-164)である。
結論的には、人間の自立・自存的な生き方をもたらすために必要だと指摘するのが「コンヴィヴィアリティのための道具」(tools for conviviality)である。人間が機械や制度に使われるのでなく、「創意に富んだ活動」を主体的に行う教育のあり方が、シャドウ・ワークではない教育を行うための条件となるであろう。注目すべきは「道具」を用意することである。これは学びを誘発させる環境であると言ってもよい。『脱学校の社会』での「脱学校」(deschool)の実現例として、町のなかに例えば工場の仕組みを解説するコーナーを設置するといったプランや、「学習のためのネットワーク」(learning webs)として教えたい人間と学びたい人間を引き合わせる条件整備を挙げている。
(2)CIDOCの実践に見る、イリイチの学習観
次に、イリイチ自身の実践から、この条件整備としての学習を見ていく。彼はメキシコ・クエルナバカにおいて異文化間資料センター(Center for International Documentation: CIDOC)という「オルターナティブな大学」(Illich 1992:119)の設立に携わった 。協力者には他にパウロ・フレイレ、ジョン・ホルト、ポール・グッドマン、ジョエル・スプリングらがいる。CIDOCは1967年から1976年まで開設していた。「一日に五時間、四ヶ月間続ける」(同:304)スペイン語の集中レッスンの講座 を開き、そこから得られた費用を「元手に、図書館を設立したり」「毎年四、五十人の人びとを、あらゆる社会階層から、そしてメキシコ以外の中南米のあらゆる方面から招待した」りした(同:141)。「ヨーロッパ、ラテン・アメリカ、北アメリカ、オーストラリアなどからの神父や研究者、学生たちの交流する一種の知的センター」(Illich 1981b、玉野井芳郎:173)であった。また各種セミナーが行われるなど、通常の大学に近い運営がなされていた。学生も存在しており、山本哲士も学生としてCIDOCに学んでいた(山本 1979)。CIDOC運営の目的についてイリイチはこう述べる。
われわれの目的は、学生を教育することではありませんでした。われわれの招いた客人たちがお互いに、あるいはわたしと、そしてまた、われわれの会話に参加することを希望した学生たちと、話し合うことができるようにすることがわれわれの目的だったのです。(Illich 1992:304)
一方的に教育を行うのではなく、あくまで本人の意思に基づいて学べるよう、学ぶ道具としての条件整備を行うイリイチの姿が見てとれる。客人やイリイチとの会話も、また図書館にある本 も、自発性に基づいて行われる学びのための「道具」であった。
CIDOCは研究機関でもある。学術誌発行 のほか、『脱学校の社会』等のイリイチの諸著作はCIDOCでの討論が元になって書かれたものである。それゆえCIDOCは「省察の座」と称されることがしばしばあったという(Illich 1981b、玉野井芳郎:173)。
スペイン語の集中レッスンの話は、『脱学校の社会』における「ドリル学習」(drill instruction)の文脈で行われている。イリイチによれば自発的に行うドリル学習の場合、短期間に効率的に学ぶことができる(Illich 1971)。「何年もの長期にわたって厖大な公費を投じてなされる公教育による教育的な結果は、ほんの六週間程度の成人識字教育によって充分はたしうる、とフレイレを実例にしてイリイチは自らの非学校化の考えを主張さえした」(山本 1996:174-175)のである。
イリイチは理想の研究手法として「わたしはまた、真理の探究が、講義室ではなく、食卓を囲んだり、一杯のワインを傾けたりというユニークな方法で追求される様を示したかったのです」(Illich 2005:254-255)と述べている。おそらくCIDOCでの研究作業も同様の狙いの下で行われていたと考察できる。大学のなかだけでなく、自由な雰囲気のなかでの対話に基づく学びが重視されたのだ。これはフレイレの文化サークル内での対話による「問題化型学習」と同一の発想である(Freire 1970)。「わたしの考えでは真理の探究はフィリアの成長を前提としているということです」(Illich 2005:260)との言葉は、フィリアつまり友情の深まりによる真理探究、すなわち友人・仲間との対話の中での研究の重要性を説いている。
CIDOCの実践 から言えるのは、コンビビアリティに基づく学習の重要性である。他者との対話による学び、あるいは自発的に行う学習こそが、「教育」および「学校化」の弊害から逃れた教育活動であり、シャドウ・ワークでない学習の形態なのである。また国家や社会のためでない学習のあり方でもある。
イリイチにとって、学習はあくまで自発的意志に基づいて行うものであった。その教育観はニイルに近いものである 。イリイチの学習観・教育観を支えるものはまさに「創意に富んだ行為」を誘発するための道具の存在である。人間の自立・自存的活動を支えるものとしての「道具」をいかに多くの人びとにもたらすかが、シャドウ・ワーク性を教育から遠ざけるための条件となる。
教育のシャドウ・ワーク性は、制度スペクトルでいうところの「操作的制度」に学習者が置かれている点にある。そこを抜け出す方法としては、「コンヴィヴィアリティのための道具」(tools for conviviality)を学習者が自発的に用い、学びを(広く、あるいは深く)行っていける条件整備を行う点を指摘することができる。『脱学校の社会』では、「コンヴィヴィアリティのための道具」を意味する「相互親和型社会」という概念が提唱されている。これは、イリイチが「制度」の諸類型を直線上に配置した「制度スペクトル」において左端に置かれる制度である。この「相互親和型社会」の例として、電話や郵便 が出されている。これらは「利用することが自分の利益になるのだと制度的に説得される必要なしに人々が使用する制度」(Illich 1971:107)である。
「制度スペクトル」もう一方の端には「操作的制度」が置かれている。イリイチは例として高速道路を示す。高速道路は車を所持する人が自動車に乗るときにしか利用されえない。使用する母体が限られるにもかかわらず、全国民の税金を用いて行われる点で「偽りの公共事業」である。一方、電話や郵便はすべての人が使用する時だけ料金を払い、使用した分だけ費用を支払えば済む制度である。イリイチの目指す、シャドウ・ワーク性のない教育というものも、電話・郵便と同じ比喩を用いることができる。必要とする人が、必要とする時だけ利用できる制度としての教育である。条件整備を行い、万人に道を開いた学びのあり方を担保するのが「コンヴィヴィアリティのための道具」としての教育である。
「最良の場合には、図書館は自立共生的な道具の原型である」(Illich 1973:124)との指摘は示唆的である。「私たちはまず、学びたいと欲するならば何が人々に必要なのかという問を発し、それから人々のためにそういう道具を供給するようにしなければならない」(同)。実際にイリイチはラーニングウェッブという形で、実現可能性を説いている。梅田(2007)はこのような自立共生的な学びの道具としてインターネットの利用を説いている。
ここから考察できることは、条件整備としての学習環境の重要性という結論になる。人と人とが出会い、そこから学びを起こしていき、必要に応じて学びを行っていく環境の重要性である。
(3)CIDOCでの実践の評価
CIDOC期のイリイチらの教育実践については今後の研究が必要だが、CIDOCでの教育/研究実践が、シャドウ・ワーク性を取り除いた教育実践、すなわちコンヴィヴィアルな学びを実現していた可能性があると言ってよいだろう。この実践が実現した背景にはスペイン語習得講座での収入があったため、国家からの援助を受けなかった点がポイントとして指摘できる。近代国家形成の主体となることを拒否し、自由なエートスのもとに研究できたと言う意味で「シャドウ・ワーク」性を排しているのだ。つまり、近代国家の構成員にならないとの思いのもとに成立した束の間の「ユートピア」がCIDOCであったのである。それゆえ、国家の管理から逃れ、財政的に立ち行く状況のみで成立する概念であるのだ。
なお、CIDOCが存在したのが60年代から70年代であったことも考察していく必要がある。コミューン的あり方が流行したこの時代だからこそ成立し得た可能性があるからだ。
5、終わりに
シャドウ・ワーク概念はイリイチが随所で述べる内容でありながら、統一的な見解があまり見られないものである。本稿においては主として『シャドウ・ワーク』と『ジェンダー』での記述をもとにシャドウ・ワーク概念を整理し、その解読や批判の手がかりとしてイリイチの諸著作に当たっていった。その結果、本稿が「専門家支配」・「コンヴィヴィアル」などのイリイチの術語のパッチワークとなってしまった感は否めない。しかし、これらイリイチの述べた諸概念は繋がり合ったものであり、これらを用いなければシャドウ・ワーク概念の理解と批判は困難になる。
本稿の成果としては、1点目にイリイチのシャドウ・ワーク概念が近代社会批判・教育批判を狙ったものであるとの整理ができた点があげられる。2点目に、「シャドウ・ワーク」が行われる状況への批判を徹底すれば、前近代社会の共同体すらも破壊する側面があるとの指摘があげられる。3点目に、シャドウ・ワークが行われる状況への批判を近代教育の改善に絞った場合、今後の教育へのヒントとしてイリイチのCIDOCでの実践を用いることができるのではないか、との示唆を行った点が挙げられる。
しかし、課題とすれば本稿においてシャドウ・ワークに関する記述と教育への展望との内容に乖離を感じられるようになってしまった点があげられる。
6、今後の課題
本稿においてはシャドウ・ワークの教育への適用可能性について考察してきた。しかし、シャドウ・ワーク概念の成立の背景について論を進めることがほとんどできなかった。思想史上の系譜を見ると、「シャドウ・ワーク」概念はフェミニズム運動の流れの上にある。フェミニズムにより主婦業の自明性が疑われるようになった際、独自の立場から「シャドウ・ワーク」との新語をもとに問題提起をしたのがイリイチであったのだ 。そのため、シャドウ・ワークの理論的下地を構築した各種研究を整理することが必要である。
また、本稿の鍵となるCIDOCでのイリイチの実践には、山本(2009a)以外にまとまった研究が存在しないのが現状である。たとえばCIDOC開始時にいた研究者名については論者によって記述が大きく異なっており、統一した見解が存在していない。コンヴィヴィアリティに基づく学び・研究実践のヒントがCIDOCの実践から得られるのではないかと考えられるため、CIDOC期のイリイチの活動やCIDOCそれ自体の研究も今後の課題としていきたい。
7、参考文献
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高校進学校における「内職」行為に関する一考察
~授業の再構成としての「内職」論~
1、はじめに
高校進学校において、授業中の「内職」行為は一般的に禁止されていることが多い。その一方、〈「内職」をしないと合格しない〉という記述が、いわゆる「合格体験記」や受験勉強の参考書(通信勉強指導塾アテネ東大生講師グループ 2001など)にしばしば散見される。「内職」は高校進学校の多くの生徒にとって一般的な行為となっている。しかしながら「内職」についての学術研究はほとんど存在していない。授業中の「内職」行為について検討している論文を挙げると川口(2006)と桜井(2004)があるが、いずれも大学段階において授業中の「内職」を防ぐ技術についての実践報告である。「内職」をいかに防ぐか、という発想からは〈そもそも何故生徒は「内職」をするのか〉という知見を得ることはできない。高校段階での授業中の「内職」の実態や意味についての研究には通信勉強指導塾アテネ東大生講師グループ(2001)があるが、これは学習参考書に掲載されたものであり、学術的調査とは言い難い。
「内職」という生徒の行為は高校において実際にはどの程度行われているのであろうか。また、どのような意味合いから「内職」は行為されているのか。この点を検討するため、本稿では「内職」という言葉が指し示す行為の実態と、その意味合いについて考察を行う。本稿は大学生(主として早稲田大学教育学部1年生、授業内で実施)に対し、回顧的に高校時代の「内職」行為について尋ねる形式となっている。アンケート母体の性質上、高校進学校における「内職」行為の実態と意味を考察する内容となっている。
「内職」という生徒の行為についての考察を行うことは、教員の側の教育実践を考える上でも有益であると考えられる。それは、授業を受容する側の「まなざし」を想定することが、教員の行う教授行為の改善への示唆になると考えられるためである。
なお本稿において「内職」とは、「授業中に授業内容と関係のない学習をすること」と定義する。「学習」ではない授業中の「遊び」行為、例えばマンガ・読書・携帯電話の使用・手紙回し・私語・落書き・ゲーム機・居眠り等と「内職」とは区別するものとする。その理由は「内職」の場合、授業以外の学習につながる教育的価値をもつ存在であると言えるが、「遊び」の場合にはそういった価値が付与されないためである。なお、一般的には「遊び」行為も授業中に行われる限り「内職」と呼ばれることもある。
2、アンケートの実施概要
本稿執筆に当たり実施したアンケートの概要を以下に記述する。
実施概要
実施日:2010年6月 早稲田大学教育学部授業時間内に実施
回収率:96.1%(配布数102、回収数98)
有効回答数:98
調査母体について
・性別:男性54.1%、女性44.9%(N=98)
・学年:1年82.7%、2年5.1%、3年8.2%、4年1.0%、5年以上2.0%(N=98)
・年齢:18歳33.7%、19歳37.8%、20歳12.2%、22歳4.1%、24歳1.0%(N=98)
・大学進学の仕方:一般受験75.5%、センター利用入試1.0%、AO入試1.0%、推薦入試6.1%、帰国生入試1.0%、付属・系列校からの進学14.3%(N=98)
・出身校の大学進学率:大学進学率80%以上の高校出身者が86.2%であっため、本調査は高校進学校での「内職」の実体をあらわした調査となっている。
3、「内職」という言葉の使用状況
「内職」という言葉が高校生の間でどの程度語られているかを見てみる。高校時代を振り返る形で、出身高校において「内職」という言葉が使われていたかを質問した。以下に質問項目とその回答結果を提示する。
図表1 「内職」という語が出身高校において使われていたか(N=98)
項目 %
よく使われていた 63.3
使われていた 17.3
あまり使われていなかった 12.2
使われていなかった 6.1
違う言葉が使われていた 1.0
合計 100.0
図表1より「内職」という言葉が「よく使われていた」「使われていた」との回答の和は80.6%であった。回答者全体の内、約8割の高校において「内職」という言葉が使われていたことがわかる。一方、「あまり使われていなかった」「使われていなかった」「違う言葉が使われていた」の和は19.3%となり、約2割の回答者にとって「内職」という言葉が身近なものではなかったと言える。
回答欄には「内職という言葉を知らなかった」という記述があった。これは沖縄出身の男子学生が記述したものである。また調査後に、一人の女子学生が「私の高校所在地の広島市では、『内職』という言葉はありませんでした」と口頭で筆者に語っていた。これらから「内職」という言葉の分布には地域差・学校差が存在することが読み取れるが、どのように分布しているのかまでは判明しなかった。
4、「内職」をした理由は何か
アンケートの中で、高校時代に「内職」をした際の理由についての質問を行った。それぞれの質問項目に「あてはまる・少しあてはまる・あまりあてはまらない・あてはまらない」の4件法で答える形式のものである。「『内職』を全くしなかった方も、『内職』をする授業があるとすると仮定してお答えください」という文章も質問に記載した。回答は「あてはまる」・「少しあてはまる」を「当てはまる」、「あてはまらない」・「あまりあてはまらない」を「当てはまらない」と表示した。
図表2から、生徒が「内職」をする理由について読み取ることができる。「内職」は、まず「授業がつまらないため」(当てはまる:73.5%)・「授業中、暇であったため」(72.4%)、つまり退屈を感じるとき)・「受験に必要のない授業であるため」(65.3%)行われることが分かる。生徒たちはつまらない授業・退屈な授業・自分には不必要な授業を乗り切るため、「内職」を行っていることが読み取れる。
図表 2 授業中に「内職」をした理由(N=98)(%)
項目 当てはまる 当てはまらない
A:授業がつまらないため 73.5 25.5
B:授業中、暇であったため 72.4 25.5
C:受験に必要のない授業であるため 65.3 33.7
D:別の授業の予習をするため 60.2 38.8
E:塾や予備校や別の授業の課題を行うため 56.1 40.8
F:授業内容が遅いので、自分で受験勉強を進めるため 53.1 45.9
G:なんとなく 33.7 65.3
H:教員が嫌いだったから/教員への反発のため 28.5 70.4
I:塾や予備校ですでに学習内容を学んでいたため 27.5 71.4
J:学校とは違う勉強をしたかったから 15.3 83.7
K:授業内容が早いので、自分で受験勉強を進めるため 13.3 85.7
L:気分転換のため 9.2 87.7
M:授業についていけないため 9.1 88.7
N:友人が内職をしているから/内職を薦めるから 7.1 91.8
また、別の授業や予備校の授業に必要な予習・課題を行うために「内職」を行っているということも指摘することができる。「塾や予備校や別の授業の課題を行うため」(56.1%)の項目や自由記述項目の「次の時間のテスト勉強、課題提出のため」(男性)などの回答の存在から考察すると、ここに描かれているのは「次の時間のテスト勉強」や「課題」を行うための「内職」観である。「塾や予備校や別の授業の課題を行うため」とはまた別に、「次の時間のテスト勉強」のために「内職」がなされてもいる。これも、生徒が自分に不必要な授業を自分にとって必要な課題を行うための自習時間に自主的に「再構成」していると言える。生徒たちは「次の時間の授業で行われるテストのため」に、当面の授業内容を「内職」によって再構成することで、テスト勉強の時間を作り出している。
5、「内職」をしなかった理由は何か
次に、高校において生徒が「内職」をしなかったときの理由について見ていく。それぞれの質問項目に「あてはまる・少しあてはまる・あまりあてはまらない・あてはまらない」の4件法で答える形式のものである。図表3と同様「あてはまる」「少しあてはまる」の和を「当てはまる」、「あまりあてはまらない」「あてはまらない」の和を「当てはまらない」とし、質問項目と回答を提示する。
図表 3 授業中に「内職」をしなかった時の理由 (N=98)(%)
項目 当てはまる 当てはまらない
A:授業がおもしろいから 77.6 20.4
B:授業の内容が分からなくなるから/授業についていけなくなるから 73.5 24.4
C:教員が好きだったから 71.4 25.5
D:受験に出る内容だから 61.2 36.7
E:「内職」しようとしたが、集中できなかったから 55.1 42.9
F:教員に怒られるのが嫌だから 51.0 46.9
G:授業を聞くのがルールだから 31.6 66.3
H:「内職」をするという発想がなかったから 16.4 81.6
I:内申点に響くから 16.3 81.6
図表3より、「授業がおもしろい」(当てはまる:77.6%)とき、生徒は「内職」しないことが多い。また「授業の内容が分からなくなるから」(71.4%)、「教員が好きだったから」(71.4%)・「受験に出る内容だから」(61.5%)という理由も「内職」をしない理由になる。
「教員に怒られるのが嫌だから」(51.0%)というものよりも、面白い授業(項目A)や好きな教員(項目C)という項目のほうが「内職」をしない理由となる。逆に言えば、面白くない授業・嫌いな教員の話を無理に聞かされるような授業では「内職」をすることで生徒がその授業を乗り切っていると考察することができる。
6、高校生はどのように「内職」をとらえ、どのように「内職」を行っているか
アンケートの中で、「あなたが高校時代、授業中に『内職』をする際に工夫したことがありましたら、お教えください」という自由記述式の項目を設置した。有効回答は59件あった(回答率60.2%)。ここでは自由記述回答から読み取れる点を分析する。なお筆者が加筆した箇所には注を入れている。
(1)行為面からの考察
始めに「内職」がどのように行われているかを行為それ自体に着目し、2点に分けて検討する。
特徴1:授業を聞く「フリ」をして行う「内職」(隠匿的内職)
まず見出される特徴は、授業を聞く「フリ」をするとの回答である。「その授業の教科書を一番上に置き、ノートを取っているフリをして内職をする」(男性)・「さも教科書を読んでいるかのように別の本を読む。演技力を重視した」(男性)などの回答があった。これは「内職」の演技性を示している。
また次に見出される特徴は「こっそり」「バレないように」内職をする、との回答である。「とにかく、先生がわからないようにこっそりやります」(女性)・「バレないようにぶ厚い冊子ではなくプリントでできるもので内職した」(女性)など、「内職」の隠匿性を示す内容となっている。
その他、授業を聞くフリをする際の種々の工夫に関する回答がなされた。「先生にばれないように、出来るだけ内職に使用するものをコンパクトにまとめる」(女性)などという回答を挙げることができる。
特徴2:「堂々と」行う「内職」(顕在的内職)
授業を聞く「フリ」をするという回答が多い一方、「堂々と」「内職」をしていた、との記述も存在する。「堂々とやりました」(男性)・「できるだけどうどうとやる。怒られないと思ったら自信を持ってやる。こそこそやらない」(男性)など、「堂々と」という回答は9件になる。特徴1にあった授業を聞く「フリ」をするといった回答と違い、教員に対して〈自分は内職をやっているのだ〉という誇示的意思・反抗的意思が表れている。その理由は、「(注 教員に内職の注意を)何も言われなかった」からでもあろうし、〈授業を聞いても無駄だ〉などと反抗を示したいという思いがあるためであると考えられる。
(2)意味面からの考察
ここまで見てきた2点の特徴は、どちらも生徒の行為面から見た特徴となっている。続いて、「内職」行為を意味面から読み取れる特徴をA~Cに分けて検討していく。
特徴A:無駄な時間の有効活用としての「内職」
教員は授業中、常に教授活動を行っているわけではなく、雑談・出席確認など、時として生徒に無駄な授業実践だと認識される行為を行ってもいる。特徴Aで見ていくのはその無駄な時間の有効活用として行う「内職」である。「授業の中身は聞き逃すことのないように、あくまでも先生が明らかな雑談をしている時や、受験に必要ないことをしている時のみ内職するようにした。また、なるべくその教科を勉強するようにした」(女性)・「教師が黒板に書いている時に内職してました。(解説中はやってませんでした)」(男性)などという回答からそれを読み取ることができる。
特徴B:教員の語りを聞き流して行う「内職」
特徴1において、あくまで授業に参加している「フリ」をする「内職」について見てきた。この時、教員の語りをBGMとして聞き流しつつ、「内職」を行うことになる。アンケートの回答の中に「本来の教科の教科書を開け、たまには先生の話を聞く」(男性)・「先生に当てられる授業では当てられそうなところをやっておいて半分授業も聞いている状態で内職する」(男性)というものがあった。また、「板書を書き写しながら(注 内職を)行う。内職しながらもノートはとる。先生の話も耳にはさみながら、なるべく授業に参加している姿勢を見せ、ばれないようにする」(女性)という回答も存在していた。
特徴C:「見極め」て行う「内職」
「内職」はタイミングに応じ、やり方を切り替えて行われる。「教室を先生が歩き回り始めたら、やめる」(女性)という回答がそれを示している。また教員によっても「内職」の仕方(しないということも含めて)は変わってくる。「当然のことながら、必要な授業・不必要な授業を見極め、また内職が許可される授業なのかを考えるとともに、できるだけその授業の教師と話を広げられる(質問をしたり、議論をしたり)ものを選んで内職していた」(男性)などという回答が示す通りである。何も考えずに行うのでなく、「内職」する/しないを「見極め」た上で「内職」は行われている。その「見極め」は「内職できる先生と出来ない先生と見極めて、内職する時間を最初から決めておく」(男性)など、「内職」の取り締まりが「ゆるい」教科(ということは「ゆるい」教員でもある)を基準に行われる。
次に、ここであげた特徴A~Cから読み取れることは、授業を自分の必要のために再構成する生徒の意志の現れとしての「内職」行為という側面である。次にこの点をさらに見ていく。
7、授業の「内職」の持つ意味の考察 ~授業の再構成としての「内職」~
教室には通常一人しか教員はいない。もし教室で何か起きていたとしても、基本的に見るのはその教員一人だけである。授業中に騒がれる場合・あるいは教室から生徒が出ていく場合、別のクラスの教員に自分の授業の失敗が露見される。一方、「内職」は静かに生徒個人が行う行為であり、他の教員に知られることはない。「遊び」の場合、私語などを行うと授業への妨害行為となる。その点で「内職」は教員の教授行為を支えている側面がある。生徒が授業をボイコットしたり、教室を抜け出したりした場合、授業の「不要さ」が露骨に表示される。授業中に教室を抜け出した経験についての筆者のアンケート調査では、「しなかった・あまりしなかった」という回答が83.7%を占めていることから、大半の生徒はたとえ退屈な授業・つまらない授業であっても抜け出しを行うということはなく、「内職」や「遊び」で授業を耐えうるものに再構成していると言える。「遊び」の場合は騒がしいこともあるが、「内職」はそうではない。
図表4 授業中の抜け出し(N=98)
項目 %
しなかった・あまりしなかった 83.7
していた・少ししていた 15.3
無回答 1.0
合計 100.0
E・ゴフマンは次のように述べる。「たとえまちがっていると思われることを意図的に行っていたとしても、その人は状況において自分の義務をはたそうとする。話をしている人に耳を傾けなければならない時に、雑誌をパラパラめくったり、酒をついだりして、集まりから関心をそらしたからといって、その人は完全に部屋から出ていくことはしない。したがって、集まりを支配する適切な行為に対して活発に異議を唱える人は、ある意味で、集まりにまったく注意をはらわないのではなく、集まりに(そしてそれを取りまく制度に)敬意を表しているのである」(Goffman 1963:242)。
教室から出ていくのではなく授業中に「内職」を行うのは、「敬意を表」す仕種である。生徒たちは最低限授業に出席することで、外部から教員が〈無能だ〉といわれることを防いでいるためだ。また授業という相互行為秩序(あるいは授業=ゲーム)を保つ働きも行っている。P・ウィリス(1977)の描く「野郎ども」は教員・学校への反抗を示すため、あえて授業を抜け出すが、そうするとき教員の指導力不足が露呈してしまう。その意味合いで、授業中に「内職」をすることは逆説的ながら教員の授業を支えていることになる。
この構図は「野郎ども」の「反学校の文化とそれに支えられて生じる一連の事態」(Willis 1977:417)が実は現在の産業構造を支える働きを行うため「真の危機の現出を抑止している」(Willis 1977:418)結果となる構図と類似性がある。「授業がつまらない」(図表2では「内職」をする動機のうち最も回答が多く、73.5%が「当てはまる」と回答した)場合でも明確に拒否されるわけではなく、教員の授業実践を最後まで続けさせる意義があるからだ。「内職」は退屈な授業を耐えるための生徒の知恵である。「内職」を行う生徒は、自分が授業を支えているという認識がないまま、「内職」を自分のためにおこなっている。
「内職」は教員-生徒双方に有益なものになる。教員にとっては、①つまらない形態で授業をしても生徒に教授活動を否定されず、②自分の授業実践の拙さが他の教員の眼に届くことがなく、③「内職」によって生徒の受験対策が進むならば高校の進学実績が高まるという点で利益がある。生徒にとっては、①受験勉強・別の授業の課題を行う有益な内容に授業時間を変えることができ、②つまらない授業を耐え得る形に変え、③最低限の「敬意」を示すため明確な反抗として教員に受け止められないという点で利益がある。教員-生徒双方に利益があることを考察する場合、「内職」とは生徒の編み出した知恵であると言うことができる。
8、結論
本稿では、(1)高校進学校において「内職」は一般的な言葉であるという点が確認できた。また(2)「内職」により生徒が不要な授業・つまらない授業を有用な内容に再構成する働きがあることが示唆された。また(3)この「内職」という授業の再構成作用が教員-生徒双方に有効益であるという点の指摘を行うことができた。
I・イリイチの教育観では「再構成」する意志を持たず、一方的に「学校化」されるという生徒モデルが描かれている(Illich 1971)。イリイチに限らず、代表的な教育学理論(例えば生徒を「獲得者」・教員を「再生産者」とみるBernstein 1996など)において、生徒の側の自発的な「内職」行為は無視されている。生徒の側の抵抗を扱ったものとしてP・ウィリス(1977)やM・アップル(1979,1982)の図式は存在するが、いずれも「被抑圧者」に対する研究であり、本稿で扱った高校進学校における調査は行われていない。教育学理論の精緻化のため、「内職」を含め授業中の生徒の行為・行動について今後さらに検討していく必要があると言える。
本調査は調査協力の得やすさから大学生に高校時代を回顧する形で行ったアンケート調査であり、回答した時期と「内職」を実際に高校で行っていた時期とにずれが生じている。そのため、高校進学校授業中での「内職」の実態を正確に表しているものであるとは必ずしも言うことはできない。今後、高校生に直接アンケートやインタビューをする形での調査を行うことが必要であると考えられる。今回の調査は高校進学校に絞っていたが、高校生の「内職」行為を研究していく上では進学校ではないその他の高校での「内職」行為の実態についても調査を行う必要があると考えられる。
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第3章
「贈与」/「悪」の教育論
〜教育概念の再構築〜
異界との出会いとカイヨワ
異界に出会うことで、生の豊穣さに気づくことができる。映画『となりのトトロ』の面白さは「子どものときにだけ/あなたに訪れる/素敵」な異界(=トトロ、ネコバスetc.)との「出会い」を再度おこなえる点にある。純粋に考えれば、メイ・サツキ姉妹とトトロたちの間に言語的コミュニケーションは成立してはいない(そもそも「トトロ」という名付けはメイによって恣意的になされたものであり、トトロ自体は一度も名乗りをしていない)。言語における相互行為のできない「他者」である。けれど、明らかに人間ではない(=文字通りの「異者」)存在と非言語的コミュニケーションが映画においては成立している様を観客は目にしている(空を飛ぶこと、ネコバスに乗ることを示唆することetc.)。ここから、子どもの自己形成空間(あるいは時間)において異界(あるいは他者との出会い)が重要な意義をもっている点を読み取ることができる。
異界との出会いは常に日常性を超えた非日常の文脈で語られる。これはハレ―ケ(あるいは聖—俗)の二項図式を超えた、「聖—俗—遊」というR・カイヨワの図式と重なる。子どもが非日常性あふれる異界と出会うのは「遊」の文脈なのである(実際、『となりのトトロ』ではトトロたちと姉妹は何度も遊びを行う)。生産性や効率性を度外視し、遊びたいが故に遊ぶ子どもの姿。ここに神(あるいは仏)を見たのが『梁塵秘抄』の編者や江戸の歌人・良寛であった。「遊」は「聖」に通じるのだ。まさにホモ=ルーデンスたる子どもの面目躍如である。
カイヨワの図式にある「遊」については、浅田彰などによってスキゾ・キッズ的生を肯定するものとして描かれた。当時、無限に拡散し直線的成長・拡大モデルを拒否するリゾーム構造に基づくスキゾフレニー(元は分裂病との意味)型の生がもてはやされたのだ。これらは80年代の消費社会論やバブルの終焉とともに忘れ去られていった。しかし、現象学的知見にはスキゾ・キッズの生き方を再肯定する可能性が込められているように見える。
映画『シングルマン』(2009)〜『こころ』との対比、あるいは死の贈与論〜
夏目漱石の『こころ』を同性愛小説として読むよみ方がある。まず「私」と「先生」が出会う場面は鎌倉の海水浴場。「私」は「先生」の泳ぐ姿に着目し、「先生」が着替えるところを絶えず見つめている。個人的に私淑する「私」は「先生」の家に行き、恋愛論等を尋ねていく。始めは戸惑っている「先生」も、ついには自分の生き様を手紙の形で克明に描いて「私」に送り、自殺をするところで本作は終る。矢野智司の『贈与と交換の教育学』にもあるが、「先生」を敬愛する「私」は「先生」の死という贈与を、いわば突然受けたわけだ。「私」は残りの半生において反対給付をする義務を負ってしまう。石原千秋『こころ 大人になれなかった先生』にあるように、「私」は《誰にも見せないでください》「先生」が書き残した手紙の内容を、小説の形で表すことで「先生」を超えること―大人になること―を志向した。これが「私」が「先生」に大して為す反対給付としても見ることができるだろう。
思わず『こころ』論を書いてしまったが、私が昨日見た『シングルマン』(トム・フォード監督)は『こころ』と同じ構成をとっていることが分かる。『シングルマン』の主人公は大学の文学教授。ゲイのパートナーの突然の事故死から立ち直れない(書きそびれたが、本映画ではこの教授自身がパートナーの死という贈与を受け、その反対給付の仕方に戸惑う姿が描かれている)。ピストルに銃弾を詰め、自殺を志すもいろんな邪魔が入って結局死ねずにいる。ラストの場面で、この教授は教え子である男子学生との束の間の相互作用(これがゲイであることのカミングアウトでもあるが、性行為にいたらないのがミソである)の中で生きる意欲を得る。『こころ』の「先生」は親友Kの自死から立ち直れない(文学論によっては「先生」と「K」との間でも同性愛関係があったのでないか、との指摘もある)。そんな折、自分を私淑する「私」という大学生との出会いが、「先生」の日々に明るさを与える。
両作で違うのは視点である。『こころ』では教え子(=弟子)の視点(ただし、最終章は「先生」からの視点)で描写されるのに対し『シングルマン』は終止「先生」の側からの描写なのである。
『シングルマン』のラストは実に切ない。「先生が心配だ」という、自分を心配し必要とする他者の存在に気づいた教授は、家の窓を開ける。フクロウが飛び立つ夜空に満月が浮かぶ。教授の感情描写的に爽快な場面だ。ピストルは引き出しにしまい、硬く鍵をかける。人生の有意味性を教え子から学んだのだ。けれど、突然の心臓発作のせいで教授は死んでしまう。
両作のポイントは、師弟関係にともなう同性愛的気質である。師匠と弟子が親密な関係性を持っているとき、その関係性は容易にプラトニックな愛、あるいは肉体的な愛に転化する可能性がある。そういう「危険性」を意識しても、どうしても師匠から学びたいという切実さが、師弟関係を支える要因なのである。たとえどうなろうとも、この人から学びたいのだ! そんな「熱い」思いを持つ弟子のみが、師匠から多くを学び、師匠から贈与(むろん、師匠の死だけではない)を受けることができる。だいたいにおいて、師匠は弟子より年長であるため、自殺でなくとも弟子は師匠の「死」という贈与をどこかで受けなければならないのだ。その贈与に対し、弟子はかならずその贈与を受けなければならない。その上で、その贈与に対する反対給付を為す必要がある。でなければ師匠の死は無駄な贈与になってしまう(つまり贈与しようとしても誰も贈与を受けてくれなかったわけだ)。
『シングルマン』の弟子こと男子学生は、映画中では心臓発作で死んだ教授の死の「贈与」をどのように受け止めたか、全く描かれていない。しかし、想像は容易である。ゲイと噂される教授の家で、男子学生が泊まった。その日、教授が心臓発作。タブロイド紙の記者でなくとも、男子学生が教授の新たなパートナーであると噂されるのは必然であろう(もしくは教授は腹上死したのではないかと勝手に思われる)。この際、男子学生は自分の秘密(=ゲイであるということ)を打ち明ける必要性が出てきてしまう。ゲイであることを否定するのか、それともカミングアウトするのか。どうなるかは分からないが、おそらくは後者の選択をするだろう。映画『シングルマン』自体が、監督(トム・フォード)の生き方をさらけ出すと言うカミングアウト映画という側面を持っている。男子学生が教授の死の贈与に反対給付するための第一歩は、ゲイである自分を認め、周囲にもその理解を求める戦いをすることなのだ。教授の授業シーンでも、マイノリティの迫害について教授が「熱く」語るのが印象的だ。
映画『真夜中のカーボーイ』(1969)からみる、「死」の贈与論。
文字通り、真夜中に本作を見て書いている。
ストーリーなどはネットでいくらでもあがっているので、社会学的(ないし教育学的)考察点を中心に描くことにする。
親には愛されないが、祖母には愛された主人公・ジョー。職場のレストランでも、ニューヨーク行きのバスでも、ジョーは誰とも会話(=対話)が成立しない。話を振るが、相手は会話に乗らず、モノローグに終ってしまう。他者からのすれ違いをさんざん示す本作は、会話の成立しない「孤独さ」を強烈に表現している。
回想シーンには子ども時代と前の恋人のシーンばかり。ジョーは過去にすがって生きている。それが嫌で大都会へ行くのだが、やはり上手く行かない。そんなこんなでダスティン・ホフマン演じるリッツォと共同生活を送ることとなる。
はじめ、誰とも会話が成立しないジョーであるが、リッツォと出会ってから会話が成立するようになる。リッツォはいわば潤滑剤である。本作では2回バスに乗ることで場面が転換するが、1回目とちがい、2回目ではリッツォとジョーは楽しげに談笑をするようになっている。しかし、フロリダ行きのバスから降りた後、ジョーは誰かと会話をすることは本当に可能なのか(後述する「贈与」が働いている、とみるならばジョーはバスに乗る前よりも成長できているため会話が成立する可能性が高い)?
本作を見て疑問に思うのは、何故ジョーは自分を騙した(=男色の斡旋人のもとに送られる)リッツォに友情を覚えるのかという点だ。宿を提供してもらったとは言え、憎しみすら抱いた相手である(内面のシーンでは首を絞めている)。おそらくではあるが、都市の片隅で自分同様「孤独」を感じる点にシンパシーを覚え(人間は間共振的律動系である以上、波長が同調している、ということである)、リッツォの存在自体から救済を得ていたのではないか。「自分は1人じゃない」という認識を得るためにリッツォに友情を抱いていたのであろう。
こうなると、リッツォの方が逆に「贈与」(マルセル・モース)を受け続けることになる。病人の自分の世話という「シャドウ・ワーク」の受け手に、ジョーが志願して行ってくれている。ジョーの献身(=文字通りの売血も含む)という「贈与」に対し、リッツォは何も「反対給付」することができない。ラストでのリッツォの死は、ジョーの「贈与」に対する「反対給付」としての「贈与」であったとは考えられないであろうか。
『贈与と交換の教育学』において矢野智司は、時に人は他者から「死」を贈与され、それを背負って生きていくことを余儀なくされる、と述べている。本作がまさにそれである。リッツォの「死」を贈与されたジョーは、何らかの形でその贈与への反対給付の義務を負う。マルセル・モース『贈与論』以来の構図である。
本作を通してみると、ジョーはこういった「死」の贈与を2回、精神病院に送られた「恋人」もカウントするなら3回、「贈与」を受けている。その度にジョーは生き方を変える決断をする(リッツォへの反対給付の仕方は本作では明らかではない)。「恋人」の別れ(=死に近い)がニューヨークでカウボーイ(=男娼)として生きる決断につながり、祖母との別れが子ども時代の甘い記憶からの「別れ」に繋がった。ジョーは生きるのが下手な人物ではあるが、「死」の贈与への反対給付を絶えず行いつづけている点では評価できるのである。
月並みな表現を使えば、他者の死と向きあう分(「死ぬのはいつも他人ばかり」とは寺山修司の名言である)、人間は強くなるというテーゼにまとめられる。他者の「死」という「贈与」を受け止められるとき、人間は成長する。あるいは、受け止めようと努力することが自分を成長させる。この場合、他者の「死」という「贈与」に、個人が自分の一生をかけて「反対給付」する義務を負うためである。この「反対給付」が成長である。
逆に、この「死」の「贈与」から逃避したとき、人間の成長は止まる。個人の成長という「反対給付」から逃れているためである。
親しい人物からの「死」の「贈与」は重々しく個人の中にのしかかってくる。この「贈与」の重みから逃れず、「反対給付」としての成長を遂げることが、人間の人間たる所以なのである。
ネクロフィリア・バイオフィリア論の教育学的可能性
—エーリッヒ・フロム『悪について』の解釈から—
1、本稿のねらい
エーリッヒ・フロムは社会心理学の立場から現代文明批評を行う研究者である。フロムはネクロフィリア・バイオフィリアの観点から『悪について』を考察したが、本稿ではこのネクロフィリア・バイオフィリア概念の教育学的可能性についての考察をおこなう。それはネクロフィリア=「悪」という図式をフロムは描いているが、現代教育学において「悪」は考察の対象となっており 、その「悪」を巡る議論に一つの方向性を示すことになるからである。
2、『悪について』の執筆動機
『悪について』(原題:THE HEART OF MAN: Its Genius for Good and Evil)は「私の前著作のうちに提示されている思想をとりあげて、更に発展させようとするものである」(Fromm 1964:1頁)観点から執筆された。直接的には『自由からの逃走』(1941年)で描いた「自由の問題、サディズム、マゾヒズムおよび破壊性」(同)のうち、破壊性について考察する観点からまとめられている。「破壊性とはネクロフィリア(necrophilia)であり、生を愛好するバイオフィリア(biophilia)とは逆に、実際に死を愛好するものである」(同)ため、「悪の本性と、善悪を選択する本性とを論じる」(同:1−2頁)のが本書のテーマとなっている。なお、フロムにおいて「悪」はネクロフィリアによって生じるとされている。
『悪について』で描かれたテーマは、『愛するということ』(1956年)と「一対をな」(同:2頁)している。
3、『悪について』諸概念の整理
ここでは、『悪について』で提示された概念を整理する。
(1)サディズムの実態について
フロムは次のように述べている。
サディズムの目標は人間を物体に、生物を無生物に変えることであると言えばよい。なぜなら完全絶対の統御によって、生物は生の本質である自由を失うからである」(Fromm 1964:31頁)。
フロムはネクロフィリアの特徴として「破壊性」(Fromm 1964:1頁)を挙げている。彼はシモーヌ・ウェイユ(本文ママ)の定義をひき、「力とは人間を屍体に変貌させる能力である」(同:41頁)であると述べている。「人間を屍体に変貌させる能力」としての「破壊性」がネクロフィリアの本質なのであるが、先の引用文の「生物を無生物に変える」という「サディズムの目標」はネクロフィリアの衝動なのである。
ここから考察すると、パウロ・フレイレの『被抑圧者の教育』に出てくる「預金型教育 」は生徒を客体(=モノ)として扱っているためサディズムに基づく行為といえる。生徒はあくまで知識を入れられる器になる。その状態からの解放として、フレイレが目指したのが「問題化型教育 」であった。そこでは教師—生徒は教材を通して対等の立場での「対話」によって教育が行われる。
対話をとおして、生徒の教師、教師の生徒といった関係は存在しなくなり、新しい言葉、すなわち、生徒であると同時に教師であるような生徒と、教師であると同時に生徒であるような教師が登場してくる。教師はもはやたんなる教える者ではなく、生徒と対話を交わしあうなかで教えられる者にもなる。生徒もまた、教えられると同時に教えるのである。かれらは、すべてが成長する過程にたいして共同で責任を負うようになる。(Freire 1979:81頁)
生徒が「客体」でなく、「主体」として立ち現れる教育において「生徒であると同時に教師であるような生徒と、教師であると同時に生徒であるような教師」による対話がなされることになる。逆に、「対話」の成り立たない教育現場は「預金型教育」の行われる現場であり、生徒をモノとするサディズム(=ネクロフィリア)が横行する空間となっているといえる。
なお、本稿ではフレイレの文脈から生徒を「主体」として扱うと述べたが、「主体化とは、アルチュセールによれば、個々の具体的個人がイデオロギー(=知)のなかで特定の社会的主体として立ち現れるメカニズムのことである」(山本 2003:136頁)ため、手放しに肯定すべき事柄であるとは言いがたい点を付記しておく。アルチュセールは「呼びかけ」によってイデオロギーは個人の中に主体を構築すると述べたが(Althusser 1970:87頁)、この「呼びかけ」に応答する行為自体が「対話」であり、教育現場では「問題化型教育」となる。この場合のイデオロギーとは「国家のイデオロギー装置」(AIE)である学校がもたらすものであり、「学校化」(Illich 1971)を人々に要求する産業社会のイデオロギーであろうと考察される。
そのため、「問題化型教育」を行うことが生徒の「主体化」をもたらす以上、フレイレが忌避した「学校化」の文脈(これはつまり「預金型教育」により一方的に詰込まれる教育現場)から生徒は外れるように見えて、より巧妙に「学校化」されるという結果をもたらす物となる。この更なる考察は本稿の範囲を超えるので以上で筆を置く。
(2)ネクロフィリアとバイオフィリア
ネクロフィリアとは「死を愛好する」(同:40頁)との意味である。ネクロフィリアに基づく人間観について、フロムは次の例をあげている。「スポーツ・カー、テレビ、ラジオのセット、宇宙旅行のほうが、女や恋や自然や食物よりも興味があり、生よりも生のない機械的なものを取扱うことに刺激される男性が、実に多いことは明らかである」・「かれは車を見るような眼で女を見る」(68頁)。フロムはネクロフィリアに基づく見方をする人間のことを「機械的人間」とも示している。現在の日本社会に広がるオタク系の恋愛ゲームやアダルトソフトを好む衝動は、まさにネクロフィリアな態度である。ダイナミックな人間的関係を求めるよりも、関係性が規定されている人間関係(=「機械的人間」)を、ヴァーチャル空間において求める動きがそれにあたる。リアル空間においても、メイド喫茶や妹喫茶というものが見られるように、きまりきった関係を要求する意味でネクロフィリアな場が広まっている。フレイレを借りるなら、ネクロフィリアは人をモノ化し、「客体化」を施すのである。
ネクロフィリアに対立する概念はバイオフィリアである。「生を愛好する」というのが元の意味である。「《バイオフィリアの倫理》は、それ自身善と悪の原理をもつ。善は生に寄与するものすべてであり、悪は死に寄与するものすべてである。善は生を尊ぶことであり、生、生長、展開を促進するすべてのものをいう。悪は生を窒息させ、矮小にし、寸断するすべてである。喜びは美徳であり、悲しみは罪である」(52頁)。イバン・イリイチは各種著書の中で人間性の回復を訴える図式として「コンヴィヴィアル」という発想を提唱した(『生きる思想』)が、この「人間性の回復」という見方は「善」なのである。
なお、フリースクールの創始者であるA・S・ニイルの著書にも、ネクロフィリア/バイオフィリアを連想できる要素が書かれている。
人間は多くの願望をもっているが、そのなかでも特別に大きな二つの願望がある。つまり生きたいという願望と死にたいという願望である。死にたいという願望は、道徳教育の結果として生まれたものだ。持って生まれた生命力が、生まれたとたんにねじ曲げられたのだ。生命力がフルに表出を許されたことは一度もない。いつでもだれか大人が人差し指を立てて「いけません。行儀が悪い」というのだ。表出を妨げられた愛情は憎しみに変わる。これとまったく同じように、妨げられた生の願望は死の願望へと変容する。私たちは死ぬことに興味をもっている。その証拠は、新聞を見ればいくらでも見つかる。新聞には、殺人、戦争、動物狩り、スキャンダル、そして大事故などにかんする記事であふれている。新聞の発行部数は、その新聞社が死にどれだけ関心をもっているかに比例する。ここでいう死とは、広い意味で否定、破壊、不幸などといった意味を含んでいる。(Neil 1967:26頁)
ニイルの「生きたいという願望」がバイオフィリアであり、「死にたいという願望」はネクロフィリアを意味すると考察される。バイオフィリアが道徳教育の結果もたらされるというのはニイルの皮肉である。ニイルはフロイトを引き、道徳教育が性的抑圧をもたらすと指摘しているが、この営みが人々にバイオフィリアを習得させる結果となる。
(3)教育における、バイオフィリアの必要性
フロムは次のように言う。
子供の場合、生の愛好の発達に最も重要な条件は、その子供が生を愛好する人びとと共に在るということである。生を愛好することは、死を愛好することと同じように伝染しやすい。(Fromm 1964:58頁)
ここから、子どもの教育におけるバイオフィリアの必要性が読み取れる。いきいきとした人間的関係の必要性だ。「人々と共にある」とはイリイチの「コンビビアル 」概念に繋がる。教室が「預金型教育」の場になっているのであれば、それはネクロフィリアの環境になっている。「生を愛好する」バイオフィリアな環境を、教育の中で増やしていく必要性を読み取れる。「フレイレのように、バンキング(知識の銀行預金型)の非対話的教育への厳しい批判をもって、人を愛する対的教育を考えることだ」(山本 2009:207頁)との指摘も、「人を愛する」(=バイオフィリア)教育を行うために「非対話的教育」である「預金型教育」を排斥する必要性に繋がる。
現在、ニンテンドーDSやi-pod/ i-padを活用する学習教材が開発されるなど、CAIをめぐる環境は発展を続けている。知識習得型の学びであればCAI機器やテキスト・問題集の自学自習で構わないという言説もあるが(OECD教育研究革新センター 2006などはその典型である)、この学習の仕方はネクロフィリアに基づく教育観である。学習する状況のみを客観的に見れば、美少女ゲームをプレイすることと何ら変わりは無い(そしてこの状況はネクロフィリアである)。
学校という場は多様な他者と交流をする場であるとの考え方があるが(例えば佐藤 2007などに描かれた「学びの共同体」の発想)、この発想はバイオフィリアの場所としての学校再考の姿勢である。
(4)ネクロフィリア・バイオフィリア概念を用いる教育学的意義
ここまで、ネクロフィリア・バイオフィリア概念について考察を行ってきた。ここではこの概念の教育学的意義を考察する。
教育者は「人間的関係」や「人間性」といった言葉で現状の公教育批判を行う。ニイルもその例外ではなく、彼の著作には「人間性」言説が頻出している。「人間性」という言葉には高尚な響きがある反面、抽象度が高いため何を意味するか不明瞭な議論となってしまう。「人間性」とは何か、具体的にイメージすることができないためである。
この「人間性」という言葉を、プラス面・マイナス面の二項対立図式から描くのに機能するのが、フロムのいうネクロフィリア・バイオフィリアの図式である。この図式を用いる場合、教育環境について「人間性」という言葉を使わずに同様の議論を行うことが可能になるという意義がある。
(5)フロムへの批判
(5)—① 教育における「悪」の重要性
『悪について』において、悲しみは悪であるとフロムは語る(Fromm 1964:53頁など)。それはアランの「悲しくなるような考えは、すべて間違った考えである 」(Alain 1928a:198頁)との哲学に通ずる発想である。しかし、この「悲しみ」を悪として排斥することは本当に可能であろうか。また、「悪」自体、教育には不要な側面であるのだろうか。
人間にはある程度の「悪」が必要な側面がある。絶望や失望、悲しみなどがその例である。否定的な側面をもつこれらの言葉を、人々はなるべく経験したくはない。しかし、これらを体験するからこそ人間性が深まるという働きも存在する。そうであるならば、一方的に「悪」といって済む問題ではなく、もう一歩考察を深め、人間には悪も必要なのだとの結論に持っていくべきであったと言える。
この考察に当たり、矢野智司は悪を「通常、悪が論じられているように『善』や『正義』の概念の反対の意味ではなく、理性による計算を破壊することそれ自体が目的であるような至高の体験を指す」(矢野 2009:164頁)と述べている。
矢野は映画『スタンド・バイ・ミー』(1986年、アメリカ。監督:ロブ・ライナー)に描かれた、「死体」を探す旅に出た少年たちの姿について論じている(矢野 2009)。旅の後、少年たちに自己変容が生じるのだが、その理由について「この旅が死に触れる悪の体験」(矢野 2009:171頁)であったためだと説明する。
この「死体」を求める少年たちの衝動は、文字通り「死体愛好」(=ネクロフィリア)の衝動である。しかし、この矢野がいう構図から見えてくるのは、「悪」(=ネクロフィリア)を子ども集団が共有し、完遂するという行為によってしか得られない教育的価値である。「かつてのイニシエーション(通過儀礼)は、子どもにそのような悪の体験を与える出来事であった」(同)と矢野は語るが、悪を単純にバイオフィリアだとして排斥できない理由はこの点にもある。
無論、こうした「悪」の教育学的意義の考察の持つ危険性にも意識的である必要がある。
悪の体験をこのように「教育的意義」といった視点から捉えてしまうと、悪の体験は子どもが成長するための「手段」のように見なされ、そのあげく成長のためには悪の体験を周到に用意しなければならないと考え、さらには悪の体験自体を教材化するといった転倒した思考に向かう危険性があるからである。(矢野 2009:170頁)
あらゆる「教材化」(フレイレ)する欲望や発想から逃れたところに位置すべきなのが「悪」である。そのため「悪」を忌避する側面のあるバイオフィリアの教育を教育現場で行う必要性は認められるが、教育的文脈を超えた位置にある「悪」ないしネクロフィリアの有用性にも自覚的であらねばならない。
映画『スタンド・バイ・ミー』は、少年の死体を発見し、街に再び戻る所で舞台は現在に切り替わる。少年たちに探し求められる「死体」となった少年(その限りでは「客体」となっている)は、矢野も指摘する通り、「ブルーベリーを摘みに森に出かけて道を迷」(同)い、「死体」となってしまった。この少年も、いわば「悪」を求めた結果、「死体」となってしまったのである。「悪を十分に体験することはそれほど簡単なことではない」(同)、大変リスキーな側面を持っていると言える。逆に危険性を持つからこそ「悪」は自己変容をもたらす経験として子どもに機能するのである。そのため、「悪」を教材化し、安全なものとしてバイオフィリアあふれる学校において教育することは「悪」の悪たる所以(あるいは悪の「悪」性)を失わせる結果となる。
教育者ないし教員の意図を超えた位相に「悪」は存在する。容易に認識可能であり、対処可能となってしまった「悪」はもはや「悪」ではない。「悪」の教育的可能性について語ることは出来ても、「悪」を子どもに経験させるようしむけることは「悪」のもつダイナミズムを失わせる結果となってしまう。
(5)—② 構造主義の立場から見た、フロムへの批判
バタイユの『呪われた部分 有用性の限界』には、フロムのネクロフィリア概念を連想させる内容が書かれている。
古代アステカ文明において、多くの俘虜の犠牲が要求された。俘虜たちは戦争に行った兵士たちが生きて帰ってきた際に捧げられる犠牲であったが、「もしも戦士が勝利して戻るのではなく、戦で倒れたならば、戦の場での死が、俘虜を犠牲にする儀礼と同じ意味をもつことになる」(Bataille 1976:63頁)。それは「戦士は自分の身体で、貪欲な神々に食べ物を奉じることになる」(同:63−64頁)ためである。この戦士の発想を支えるのが生け贄を要求する神官の「祈り」である。「死を望み、死のうちに魅力と甘さをみいだすようにされたまえ。矢も剣も恐れず、むしろこれを花のごとく、甘き糧のごとく心地好いものと感じさせたまえ」(同:65頁)と祈り続ける。また、母親も子どもの臍の緒を切る場面において一連の台詞をわが子に語りかけたが、その中にも「戦の場で死んで、華々しい死を迎えて命を終えるのにふさわしい者とみられることは、お前にとって幸ある定めです」(同:62頁)とのフレーズが存在した。
ここをみれば、古代アステカの兵士も神官も母親も、ともにネクロフィリアであったことが読みとれる。フロムはネクロフィリアを悪であると言い切るが、これは近代の構造、ないしは近代のエピステーメー(ミシェル・フーコー)の枠組から言えることであったのではないか、との疑問が浮かんでくる。つまり、フロムのいうネクロフィリアを考察する際、〈かつてはバイオフィリア中心であったが、今はネクロフィリアが横行している〉という発想をすることは誤りである。日本においても、例えば与謝野晶子が『君死にたまふことなかれ』において、「末に生れし君なれば/親のなさけはまさりしも、/親は刃(やいば)をにぎらせて/人を殺せとをしへしや、/人を殺して死ねよとて/二十四までをそだてしや。」と歌ったように、「人を殺して死ねよ」というネクロフィリア言説が横行する時期があったのである。
無論、「人を殺して死ねよ」という言説の位相と、フロムのいう「死体愛好」との位相には質的な違いがあることは確かであろう。前者は他者を直接に殺すという意味合いのネクロフィリアであり、後者は他者を客体物(=モノ)として扱うネクロフィリアである。しかし、どちらも「生の愛好」であるバイオフィリアの正反対に当てはまる概念であるため、この項目において取り上げている。
総括すると、教育におけるバイオフィリアの重要性というフロムの発想も、現在という構造内でのエピステーメーが要求する価値観であり、普遍性のある発想であるとは言いがたいのである。現在広まるネクロフィリアの発想も、実は時代がそれを要求する、あるいは次世代のエピステーメーが要求する結果であると考えることも出来る。
フロムのネクロフィリア・バイオフィリア概念は現在の立場、ないしフロムの執筆した時点でのエピステーメーだったのである。
4、終わりに
本稿では『悪について』に描かれたネクロフィリア・バイオフィリアの発想と、「悪」の教育的意義について考察する内容となった。
今後の課題としては、フロムが本書と「一対をなすものである」(Fromm 1964:2頁)『愛するということ』との対照関係を描けなかった点である。また、フロムの著作全体の思想性についても踏まえられていない。教育学における「悪」の意義を考察するためにも、今後『愛するということ』をはじめフロム全著作の検討が課題となるであろう。
5、参考文献
Alain(1928a):齋藤慎子訳『アランの幸福論』、ディスカヴァー・トゥエンティワン、2007。
Alain(1928b):神谷幹夫訳『幸福論』、岩波文庫、1998。
Althusser, Louis(1970):柳内孝訳『アルチュセールの〈イデオロギー〉論』、三交社、1993。
Bataille, Gerorges(1976):中山元訳『呪われた部分 有用性の限界』、ちくま学芸文庫、2003。
Freire, Paulo(1970):小沢有作・楠原彰・柿沼秀雄・伊藤周訳『被抑圧者の教育学』、亜紀書房、1979。
Fromm, Erich(1941):日高六郎訳『自由からの逃走』、東京創元社、1951。
Fromm, Erich(1964):鈴木重吉訳『悪について』、紀伊国屋書店、1965。
Illich, Ivan(1971):東洋・小澤周三訳『脱学校の社会』、東京創元社、1977。
Illich, Ivan(1973):渡辺京二・渡辺梨佐訳『コンヴィヴィアリティのための道具』日本エディタースクール出版部、1989。
Neil, Alexander・S(1967):堀真一郎訳『問題の子ども』ニイル選集①、黎明書房、1995。
OECD教育研究革新センター(2006):岩崎久美子訳『個別化していく教育』明石書店、2007。
里見実(2010):『パウロ・フレイレ「被抑圧者の教育学」を読む』、太郎次郎社。
佐藤学(2007):「学校再生の哲学:「学びの共同体」のヴィジョンと原理と活動システム」、『現代思想』、青土社、2007年4月号。
山本哲士(2009):『新版 教育の政治 子どもの国家』、文化科学高等研究院出版局。
山本雄二(2003):「テクストと主体生成」、森重雄・田中智志編『〈近代教育〉の社会理論』、勁草書房。
矢野智司(2009):「悪:悪の体験と自己変容」、田中智志・今井康雄編『キーワード現代の教育学』、東京大学出版会。
第4章
日々の随想・時々の想い
〜何も考えない日も、「何も考えない」という行為は為している〜
深夜バス車内での思索
(この文章は、5月末に富山県に行く際の深夜バスで書いたものである)
新宿から深夜バスに乗り、桶川サービスエリアについた。ベンチに座り、あたりを見つめつつボーっとする。
物憂げな時間の過ごし方。これが好きだから私は一人で深夜バスに乗るのだろう。眠れない時間も、一人になるために必要なのだ。たまには「誰でもない自分」である異邦人(マレビト)になるのも楽しい。
学部時代、週一回のペースで高校の寮の宿直に行っていた関係で、「ふらっと/どこかに泊まりに行く」のには慣れている(荷物も、「何をもっていくか」大体分かるようになった)。
眠れない時間、人は何かを考える。自分の過去の思い出、将来の希望等など。ひょっとすると、現実の世界に起きている全てのことは、眠れない時間に人々が思い描いた願望によって成立しているのではないか、と考えることもある。思えば、私が初めて書いた「小説」も、深夜バスに揺られながら書いたものであった。
深夜バスを嫌う人は多い。「仕方なく」「安いから」乗る人ばかりだ。しかし私はそうではない。深夜バスで眠れない時間も楽しめるような人間だけが、深夜バスの醍醐味を知っているのだ。
周りがすっかり寝静まっている車内で、一人i-podで音楽を聴きつつボーっとする。「誰でもない私」になれる時間だ。都市的生活をしていると、びっくりするほど「ボーっとする」ことが少ないように思う(だって電車でもエレベーターでも僕は文庫本を開いてるし)。
こう思うと、「私」というものは本当に連続しているものなのか、不安になる。
院生としての私は、いまバス車中で揺られつつペンを動かす私と同一人物なのだろうか? 近代法体系は「そりゃそうだ」という。そうでないと「借金したのは昔の俺であって、今の俺が借りたわけじゃない」という言い訳が横行することになる。
おそらく他人も多様なように、「私」という存在も多様なのだろう(私という存在には4つの側面があるらしいことを心理学専修の人に聞いた)。いま存在する私も「私」だが、「未見の我」としての私も必ずある。「私」をめぐる冒険は果てしない。
眠れない辛さを感じるのも、旅の楽しみの一つである。
人生は旅だ、というのなら、旅先で感じるような「辛さ」(この場合は眠れないという現象)を知るのも楽しみの一つである。辛さすらも楽しめるのがプロの旅人なら、辛さですら楽しめるのが人生のプロなのだ。
よく考えると、死に向かう旅も、遠くへと向かう旅の一つである。人が旅に出るのも、死に向かうための練習なのだ。哲学は「よい死」を迎えるために行うものだと言われる。ならば旅に出るのも哲学のひとつなのだ。プラトン自身、数年アカデメイアを抜けて旅に出ていたし。
…こんな事柄を綴れているのも、400円のA5リングノートがあるからであり、150円のジェットストリームと僅かな日本語リテラシー能力があるためだ。ほんの少し「知的」になるための投資はほんの少しでいいのだ。
橋本治(2001)、『20世紀(下)』、ちくま文庫、2004。
日本の(そして人びとの)生きた「20世紀」を、各年ごとに見ていく書籍。年ごとの常識や認識枠ぐみのちがい(つまり当時の人びとの生活世界の変化)がなかなかに興味深い。例えば、京王線は1913年に開通するが、東京の郊外化が現実になるのは、つまり「通勤圏として開けるのは、1923年の関東大震災で都心部が壊滅してしまった後」(上137)なのである。1907年開通の渋谷ー玉川を繋ぐ玉電も、「これで玉川の砂利を運び、そのついでに人間も運んだ」(上138)ものであった。
興味深い点を下から引用。
「「駅前にスーパーがある」と「不便ながらも」を一対の条件のようにして、日本人の住宅エリアは広がって行く。戦後の新しい生活スタイルは、スーパーマーケットと共に、かつての生活習慣を保ったままの住宅街から離れたところで確立された。」(下 80:「1958」)
「1969年に、「思想」はその役割を終えた。「思想」は「豊かさ」を作り、その豊かさの中で「思想」は不必要になった。1970年から始まるのは、「思想」を必要としない「大衆の時代」なのである。時代の中で生まれた「思想」は、まだ続く時間の中で古くなり、時代というものに追い越されて行った。それを自覚しない「思想」の信奉者は痙攣し、その責任と役割を「大衆」にバトンタッチした「思想」は、ゆっくりと終焉を迎えて行く。」(下148:「1969」)
橋本治の本は幾つか読んでいるが、内田樹の本を一定数読んでから見てみると、内田の文体がいかに橋本の影響を受けているか、「なんとなく」(こういう書き方、ということです)分かってくる。
他に1960年代が週刊誌の時代だった(1961年に週刊誌が17誌も増えた)ことなど、その時代に生きていない「若手」として非常に興味深い内容が多い本だった。
本書には言及はないが、オイルショックを「産業構造の変化」で対応できた日本は1974-75年をマイナス成長にするだけで1992年のバブル崩壊まで常に右肩上がりの成長をしていたのであった。その分、大学と企業のつながりは深く、大学生の就職難は問題化しなかった。一方、オイルショックを乗り越えられなかったヨーロッパ各国は、そこから恒常的に若者(大学生含)の就職難が問題化することになった。日本はいわば欧州の認識と遅れて同調したわけだ。現在の日本の就職活動をめぐる問題を見ていると、どうも一国内に終始しており、「ヨーロッパもそうなのだ」という伝え方をしていない。他国に習う発想が、こと就職活動については行われていない。
本を読むという、「主体」の行為
本を読むとき、私は本の「装飾」をはぎ取る(=stripping)。本のカバー、帯(まさに裸にしているわけだ)、「愛読者カード」や新刊紹介文を投げ捨て・打ち破り・テープで本にとめている。
いわば、食材たる本を消化可能な状態にまで下ごしらえをするわけだ。松岡正剛が本年(2010年)11月の「週刊読書人」インタビューで書いていたが、本を読むのはグルメや映画・演劇同様の行為である。後生大事に本を扱うのでなく、本をエンタテイメントとして享受可能な状態にまで変化(=メタモルフォーゼ)させる必要があるのである。
私は本を「他者」の比喩で扱っている。他者を理解可能な形態にまで変形あるいは変化させるわけだ。これは通常、主体である「私」の変容モデルにおいて示すこともできるが、本においては「他者」自体の変容モデルでいうことができる。松岡がいうのは読書行為における「編集」作業の重要性である。本のカバーを捨てるのも、松岡のいう「編集」である。
他者を理解可能な形態に変形させることは、「オリエンタリズム」(サイード)でもある。理解不可能な形態であったものを、「私」という主体が理解可能な状態にすることになるわけであるためだ。しかし、読書行為についてまでオリエンタリズムを敷衍させることは無理があるだろう。
書籍はいわば「恋人」である。肝心な部分は装いに隠され、「主体」が少しずつ核心に近づいていくしかない。他者たる書物は「謎」めいた主体でもある。strippingする「楽しみ」は「恋人」にもあるし、「書籍」にもあると言えるであろう。このことを「まどろっこしい」と感じるか、「楽しい」と感じるかで、本を恋人にできるか否かが決まってくる。
終戦記念日は一体いつか?~「最近の若者は終戦記念日を知らない」言説を破す~
毎年、8月の半ばになると決まって「いまどきの若者は終戦記念日も知らない」という「調査」報告がなされる。
しかし、一般的に「8月15日」が終戦記念日なのだが、歴史学の世界ではそれは説の一つにすぎない。少し見てみるだけでも、①1945年8月14日説(宮中御前会議でポツダム宣言受諾が決定)、②1945年8月15日説(一般的なもの。この日に玉音放送)、③1945年9月2日説(ミズーリ号上での正式な終戦)があげられる。
もし調査員が②の説のみを知っていた場合、①や③の回答をした人間は「終戦記念日を知らない」人扱いをされることになる。アンケートの調査員はその分野のプロが行うわけではないので(ましてテレビ局の調査では、下請け会社に丸投げされることになる)往々にしてありうることだ。
また、何を持って第二次世界大戦の終戦(敗戦)とするかも、歴史学的には難しいことである。①や②の後も、北海道ではソ連軍が侵攻を続けており、少なくとも北海道では戦争が続いていたと見た方が適切であろう。
少し考えるだけでも、「いまどきの若者は終戦記念日も知らない」言説の欺瞞性に気付くことが出来る。若者を嘆く人間は、大体②説しか知らずに語っていることが多いはずだ。
教育学徒として気がかりなのは、大体「終戦記念日を知らない」言説の後、「もっと歴史教育をちゃんとやるべきだ」という安易な教育政策提言がなされることである。おそらく、「ちゃんとした歴史教育」を想定する人の頭の中には、①説や③説の存在はなく、②説の押しつけをすることしか想定されていないのだ。
PISAの調査結果報道から見えてくること
~各紙社説の検討から~
0、目次
本稿は以下のように構成されている。
1、はじめに
2、「社説」から見えてくること
2.1. PISA調査の重要度認識の違い
2.2. 内容の検討
3、調査結果の社説報道の問題点
3.1.教育問題の「格差」性への各社の認識
3.2.教育問題を煽る社説
3.3. 他のアジア諸国への言及
3.4. 社説の最終部分の記述
4、日本の義務教育の内容・方法について、今後改善すべき課題ないし改善策
4.1. 教育問題の「格差」性への検討
4.2. 教育目標の検討
4.3. 教員の自己教育力の養成
5、終わりに
6、参考文献
はじめに
PISAの調査結果をもとに日本の義務教育の内容・方法について考察を行うのが本稿のテーマである。そのために、まずはPISAを巡るマスメディアの言説を探る点から行っていく。
図表1 検討する新聞社説と掲載日の一覧
新聞名 掲載日 社説タイトル
読売 12月9日 国際学力調査 応用力を鍛えて向上めざせ
朝日 12月8日 国際学力調査 根づいたか「未来型学力」
毎日 12月8日 国際学力テスト 向上の流れを確かに
産経 12月9日 国際学力調査 「8位」で手綱を緩めるな
日経 12月8日 「考える力」をどう育てるか
東京 12月9日 国際学力調査 順位に一喜一憂ではなく
本稿では各紙に掲載されたPISA2009年調査の結果を受けての「社説」の内容の検討を行う。対象となるのは全国紙5紙(読売新聞・朝日新聞・毎日新聞・産経新聞・日経新聞)に地方紙1紙(東京新聞)の朝刊である。なお、本稿では各紙を略称で扱うものとする。
図表1に、検討する社説の掲載日とタイトルをまとめている。
2、「社説」から見えてくること
2.1. PISA調査の重要度認識の違い
図表1をみると、PISA関連の社説の掲載日には2010年12月8日のグループ(朝日・毎日・日経)と9日のグループ(読売・産経・東京)の2つがあることが分かる。
12月9日にPISAに関する社説を掲載した読売・産経・東京も、8日の1面にはPISAの記事を掲載している 。1面に掲載するほど重要であると認識されたPISA調査について、社説で取り扱うのが9日になった理由は一体何であるか。それは、12月8日の社説においてPISAよりも重要だと認識される内容を、社説で取り扱う必要があったためであると考察できる。図表2に12月8日の各紙の社説をまとめている。
図表2 各紙の12/8の社説
新聞名 上段 下段
読売 日米韓外相会談 中国と連携し対北圧力強めよ 諫早湾開拓訴訟 「開門」命令が問う政治の責任
産経 民社「復縁」 数合わせで国益害するな 日米韓外相会談 連携して対中圧力強化を
東京 菅内閣半年 課題に挑む気迫感じぬ 日米韓外相会談 中国も北の暴走止めよ
朝日 朝鮮半島 外交で打開する以外ない 国際学力調査 根づいたか「未来型学力」
毎日 日米韓外相会談 中国は「北」説得に動け 国際学力テスト 向上の流れを確かに
日経 中国は北朝鮮の蛮行封じ込めへ行動を 「考える力」をどう育てるか
*網掛け部分はPISAに関する社説である。
各紙社説に日米韓外相会談に関する社説が掲載されている点は6紙共通の特徴である。2枠ある社説欄のもう1欄において、読売・産経・東京はPISAではなく「諫早湾開拓訴訟」(読売)・「民社『復縁』」(産経)・「菅内閣半年」(東京)と、いずれも政治面、特に政府批判の内容を掲載している。朝日・毎日・日経のように8日にPISAの社説を掲載しなかったのは、読売・産経・東京が政府批判の文脈が強いためであると考察できる。つまり、PISA調査よりも政府批判の社説掲載のほうを優先したと考えられる。
今回のPISA調査結果において、日本の子どもの学力が改善したと報道をされている。読売・産経・東京にとっては現政府の政策の取り組みを肯定する評価を下すことになる。そのためあえて社説発表を9日にずらした可能性を考察することができる。
実際、読売・産経・東京のPISAに関する社説では、民主党政権への批判が取り上げられている。読売は全国学力テストが「PISAと同じ応用力を問う問題が出される」意味合いで有効と述べたのち、「民主党政権はコスト削減を理由に抽出方式に変えたが、全員参加方式に戻すべきだ」と記述している。産経は「民主党政権は学力テスト方式を全員参加から一部参加に変えた。『競争』から目をそらしている。教育の成果を適切に評価する取り組み姿勢に欠ける」と言及。東京は「国を挙げての〝受験対策″が軌道に乗り始めただけだ」と指摘する。いずれも現政府への批判となっている。一方、朝日・毎日・日経では政府批判の内容は掲載されていなかった。
政治的色合いのもとで、各紙はPISA調査に関する内容を報道していることが見て取ることができる。
なお、産経・読売については筆者の想定する「ストーリー」を述べたいと思う。一般的に保守的とされる産経・読売は、今回のPISA調査で日本の順位が上がったことを真っ先に報道したいと考える。いわば「国益」とも言えることだからだ。しかし、現状は「民主党政権」である。素直に日本の順位が上がったことを述べてしまうと、現政府に花を持たせることになる。そのためにあえて12月8日に現政府批判の社説を掲載し、翌日にPISA調査に関する社説を出したのではないか。その際も、「民主党政権」への批判を書くことを怠らずに行うことで自社のスタンスに反しないようにしているのである。
2.2. 内容の検討
朝日の社説では「日本の子が苦手とされてきた「読解力」の分野で、国別順位が改善した」ことを述べたのち、「だが、21世紀を生き抜くための力が日本の子どもたちに備わってきたと、本当に喜んでよいのだろうか」と指摘する。「言葉という道具を駆使して他人と交わり、考えを深め、社会に役立ててゆくような力強さはまだまだ。そんな日本の子の姿が浮かぶ」とまとめた後、「朝読書」などの事例を述べている。しかし全体として何が言いたいのか不明瞭になっている。
日本の新聞メディアにおいて、今回のPISAの調査結果を「改善」と見る動きが強い。しかし、「社説」では記者がいろいろ「本当に喜んでよいだろうか」(朝日)などと教育内容を煽る。その割に記者が提案するのは「朝読書」(朝日・東京が言及)のなかで「感想を話し合い、違う意見もとりいれて発表する」(朝日)など、教育学プロパーから見て低レベルな内容でしかない。
新聞記者の視点にはリテラシー能力向上の「手法」は「朝読書」くらいしか入っていない点に注意をしたい。
教育行政全体の変革を述べていたのは毎日と日経のみである。毎日は「状況を大きく前進させるには入試改革が不可欠だ。思考や表現を重視する授業を普及させるには高校、大学が手間をかけた試験を避けてはならない。暗記知識の多寡でコンピューター処理をするような試験は、PISA型学力からは最も遠い」とまとめている。ここで考えるべきは、毎日の社説が言うような「コンピューター処理」する入試を経ずに入学する生徒が現状では6割いるという点である。「暗記知識の多寡」で受験者を選別できる学校は、いまでは数少なくなっている。毎日の提案は現状とミスマッチなのである。
その点、日経は毎日同様に大学入試改革を述べてはいるものの、「教育課程の弾力化と、地域や学校現場の創意工夫を生かす教育行政の分権が欠かせない」と書いていた。提言として妥当なのは日経のこの提起のみである。
3、調査結果の社説報道の問題点
3.1.教育問題の「格差」性への各社の認識
近年、教育における「格差」の存在が言及されることが多くなった。今回のPISA調査の結果を受けた社説をみると、「格差」について言及をしている社説と全く言及のない社説の2つにわかれた(図表3)。朝日・日経を除く4紙はいずれも「格差」について言及をしていることがわかる。
図表3 「格差」への言及の有無
新聞名 格差への言及
読売 「低学力層」
毎日 「学力格差」「経済格差」
産経 「格差も解消されていない」
東京 「所得格差」
朝日 ×
日経 ×
「格差」についてもっとも多くの文字数を使って言及をしていたのは毎日であった。学力二極化の傾向への指摘にとどまらず、「経済格差」にも言及があった 。読売は毎日同様「低学力層」の存在の指摘を行った後、教員への要望を述べている 。東京は「成績の良い子と悪い子の二極化が依然目立つ」との指摘後、「背後には所得格差の問題が潜んでいる」と述べ、不明確な形ながら「格差」の存在を匂わせている。
興味深いのは産経の記述である。参加国と比較し「日本は学力下位層が多く、格差も解消されていない」と言及した次の箇所で、「民主党政権は学力テスト方式を全員参加から一部参加に変えた。『競争』から目をそらしている。教育の成果を適切に評価する取り組み姿勢にかける」と述べている。「格差」解消を目指しつつも「競争」を重視する姿勢に矛盾を見て取ることができる。
一方、教育問題が経済格差などとつながりを持っている点について、朝日・日経では指摘がされていない。教育問題の持つ「格差」性についての認識をマスメディア自身が持つことが必要であろう。
3.2.教育問題を煽る社説
なぜ学力の向上を行う必要があるのか。その哲学性や理念についての言及が6紙の社説には現れていない。産経は「国力」やノーベル賞受賞という記述があるが、教育問題をなぜ社説で扱う問題であると考えるのか、その点の考察が必要である。現状ではただ教育の現状を嘆き、教育の改善を煽る紙面になってしまっている。
3.3. 他のアジア諸国への言及
今回のPISA調査では初参加の上海が全領域でトップの結果を示していた。そのことについて言及しているのは読売・産経・東京・日経の4紙である。12月9日に社説を掲載したグループに日経を足したものである。一方、朝日・毎日は自国の調査結果に関する内容のみで終始した内容である。
東アジア諸国への言及があった4紙でも、記事の扱い方は異なっている。読売・産経は「アジアのライバルの学力向上熱は高い」(産経)、「アジアの優秀な学生を日本の本社で採用する企業も現れ始めた。日本の若者が各国のライバルと就業を競う時代に入っている」(読売)と、明確に「各国のライバル」と日本の若者が競うことを言及した内容となっている。一方、東京・日経は上海を含めたアジア諸国のPISA結果が高かった、という事実の記述にとどまっている 。
まとめると、PISAが国力を競うものとして騒がれる傾向が読売・産経では強く表れている。一方、東京・日経は調査結果として「アジア勢」の結果が上位に並んだことを掲載したのみであり、朝日・毎日は全く他国の結果を掲載していなかった。
3.4. 社説の最終部分の記述
次に、新聞社説の最終部分について比較を行う。この部分を比べるのは、照らし合わせた際に各紙の主張や傾向が強く表れていたためである(図表4)。
図表4をみると、朝日・東京は「腰を落ち着け、学びの質をかえてゆくときだろう」(朝日)・「一喜一憂する必要はない」(東京)と、教育政策の方向性を漸進的に変化させる方向性での記述がなされていることが分かる。また日経は朝日同様、「学びの質」を改善する内容を述べていることで共通している 。
一方、読売・毎日は今後の教育政策を「自己表現力」などを高める方向性で変えていく必要性について述べている。産経は若者への呼びかけで終えている点が特徴的である。
図表4 各社説の最終部分の記述
新聞名 最終部分の記述
読売 「自己表現力や対話能力も問われる。見劣りしない能力をつけさせることは国の責務だろう」
朝日 「未来に向けて腰を落ち着け、学びの質を変えてゆくときだろう」
毎日 (入試改革の提言をした後に)「暗記知識の多寡でコンピュータ処理するような試験は、PISA型学力からは最も遠い」
産経 「将来の日本が世界と競い合うためにも、若い世代はひたすら学ぶしかない」
日経 「子どもにしっかりものを考えさせる、本来の意味での『ゆとり』が大切だ」
東京 「順位に一喜一憂する必要はない」
4、日本の義務教育の内容・方法について、今後改善すべき課題ないし改善策
ここでは今まで検討してきた各紙のPISAをめぐる社説の記述から見えてきた点をもとに、日本の義務教育をめぐる改善すべき課題と、改善策に関する筆者の私見をまとめる。
4.1. 教育問題の「格差」性への検討
先に図表3において各紙の「格差」報道を見てきた。「『社会生活を営む上で支障があるレベル』とされる低学力層の割合が、日本は三つの分野とも1割を超えていた。上位10か国・地域の中では目立って高い」(読売)。この「社会生活を営む上で支障があるレベル」の低学力層の割合が高い点は、読売・毎日の記述に述べられていた。安彦(1996)が述べる「基礎」と「基本」に義務教育の範囲をたてわけ、「基礎」だけは個別指導や特別授業を行ってでも底上げをするという改善策が考えられる。
また、所得格差問題についても毎日において指摘があった。これを是正するためには、生活保護の受給を容易にする点や、北海道三笠市のように給食費無償化を実現する点などを方法として挙げることができる。
4.2. 教育目標の検討
3.2.において、各紙の社説が教育問題を煽って終わりになっている点を述べた。
教育方法を定めるには、目標goalが必要である。そうでなければPDCAサイクルをそもそも動かすことができない。「ゆとり教育」には学力低下などの批判がさらされたが、「生きる力」という目標が定められていた点に一つの意味があったと考えられる。目標や理念が曲がりなりにも定められていたため、「ゆとり教育」という目標の妥当性を議論できたのである。
PISA導入後、「リテラシー能力」や「基礎・基本の徹底」などが新たな目標として語られるようになったが、これらはあらゆる方向に向けられたものであり、結局のところ何を目指すのか不明確になっている。
次の4.3.でも述べることではあるが、義務教育において何を求めるのか、議論が必要であろう。それは教育行政のみではなく、職員会議(現状では校長の方針を打ちだすのみの場になっている)や教育委員会内での真剣な議論が必要であると考える。
4.3. 教員の自己教育力の養成
各社説には現場教員への提言も3紙に述べられていた。「先生が細かく目を配り、つまずきを克服するまで指導することが大切である」(読売)・「授業をどう工夫するか先生の力量がますます問われる」(東京)・「教科書の使い方や教科を横断するような形式の授業にも、工夫が必要だ」(朝日)。
実際、現場教員自身の自己教育が今後の必要となるであろう。PISA型学力への転換、「考える力」重視の教育実践も、最終的には教員の創意工夫によって実現されることである。むろん、一方的押しつけにならないよう十分に議論して政策を行う必要はある。しかし、教員自身の取り組みが「良い教育」を支える根拠となることは確かであろう。
アーレントは空間をprivate-public-socialの3つの側面から考察する(Arendt 1957)。画一的なsocialたる教育行政・教育政策のみでなく、その学校・その教室独自の公共性publicを作っていくことの重要性を、アーレントの概念枠組みから読み取ることができる。彼女は理想の公共空間として、他者との網の目の空間に「現れ」、議論・行為するなかで正義を実現することを述べている(同)。理想の教育空間(あるいは場)は教員-生徒間で作り上げていく必要がある。そのためにこそ、教員自身の自己教育が必要となる。これが教育行政に使役される形で行われるならば、イリイチのいうシャドウ・ワーク(賃金の支払われない他律的労働)になるが(Illich 1981)、国家の権力に対抗する形で行うこともできる。
上から言われた通りに行うだけで「効果」が出るわけでないのが教育現場である。教育目標が「ゆとり」や「学力向上」の間を揺れ動く中、自分に関与する児童・生徒との間での教育実践をアーレントの言うpublicの図式に合う形で行うことで、国家の力を制限することができる。
ちょうど向山洋一の教育技術法則化運動も、教員自身の自発性・能動性に支えられていることも思い起こす必要がある。向山は新任校での自己紹介を朝会で行う際、5分のあいさつのために何時間もかけて指導案の作成・検討・練習を繰り返したという(向山 1987)。教員自身が国家や行政とのバランスの中で「良い教育」を実践するためにも、教員自らの自己教育が必要であるということができる。
5、終わりに
本稿では各紙社説の検討後、それを基にして今後日本の義務教育段階で行っていくべき提言を3点提示した。具体的な方法論についての検討はできなかったが、数ある方法の中から児童・生徒の現状を見て必要な方法を用いられるよう、教員の自己教育力の養成(4.3.)や教育目標をpublicな議論によって決定すること(4.2.)が養成されると考察できる。また、教育実践を行うための土台となる「格差」の是正を政治・行政のレベルで行うこと(4.1.)が必要であるといえる。
本稿の課題点を述べる。今回はPISA調査を受けての社説記事の出る日付が12月8日と9日に各紙が分かれていた点を取り上げている(図表1)が、前回・前々回などのPISA調査結果報道の際は社説掲載日にずれがあったのか、検討することができなかった。その点について今後検討する必要があるだろう。
6、参考文献
安彦忠彦(1996):『新学力観と基礎学力』、明治図書出版。
Arendt, Hannah(1957):志水速雄訳『人間の条件』、ちくま学芸文庫、1994。
向山洋一(1987):『子供を動かす法則』、明治図書出版。
Illich, Ivan(1981):玉野井芳郎・栗林彬訳『シャドウ・ワーク』、岩波現代文庫、2005。
学校で文章の書き方は教えられているのか?
「学校」が作られたのは何のためか? 『子どもはもういない』の著者ニール・ポーストマンは〈読み書き能力が人々に要求されるようになったためだ〉、と説明する。それまで、子どもは「小さな大人」として扱われており、子どもと大人を分けるものは殆どなかった(アリエス『子供の誕生』)。けれども「印刷技術の発展を経て、書物を読むことが一定の階層や特定の職業従事者のみの問題でなくなった今、すべての民衆が文字の世界に参入することが重要な課題となってくる」(今井康雄編『教育思想史』)。読み書きというスキルの習得には時間がかかる。それゆえに「学校」の中に子どもを囲い込み、文字を習得させる時間と場所を用意したのだ。
前に大学のあるクラスメイトのレポートを見せてもらったことがある。酷い出来だった。段落わけがなされておらず、引用の書き方もどこからが引用の始まりか、よく分からない。全体を読んでも意味が不明瞭。「悪文」の典型であった。読む気が失せてしまう。
大学生のレポートが悲惨な出来であるのを見ると、文字を書くことができても「文章を書く」技術は習得されていないようである。しかもそのクラスメイトは早稲田大学生。早稲田合格者ですらそのレベルなら、他の大学生については推して量るべきである。
読み書き能力を子どもに習得させるための学校であるのに、なぜか「文章」を書くことすらできない生徒を産み出している。それは何故か? 簡単に言ってしまえば、書き方を教えるはずの学校で、文章の書き方が教えられていないのだ。これでは「学校」が何のためにあるのか分からなくなってしまう。何のために子どもを実社会から隔離してまで学校教育を行っているのであろうか。
大正デモクラシーが華やかなりし頃、日本では「新教育」という運動が起きた。児童中心主義の教育実践を呼びかける行動である。その中心人物・芦田恵之助(あしだえのすけ)が広めたのが生活綴方(せいかつつづりかた)運動だ。これは子どもが自らの「生活についての認識や感情を綴方(作文)に表現させ、そのことを、主として学級集団のなかで検討しあうことによって主体的な行き方を探求させ」る実践のことだ(『教育学用語辞典 第四版』学文社)。芦田から広まった生活綴方運動の最高到達地点が『山びこ学校』(無着成恭)である。無着成恭が自分の受け持つ小学生たちに書かせた作文を本にまとめたもの。有名な「雪」という詩は非常に情感豊かだ(「雪がコンコン降る。/人間は/その下で暮らしているのです」)。他にも村で流行していた「おひかり様」というカルトに対し小学生たちが批判する文章も掲載されている。『山びこ学校』には詩や随筆ばかりか社会に対する批評までも納められているのだ。無着の実践では「文章を書く」ことが小学生に習得されていた。
翻って今日の学校を見ると、「文章を書く」ことは本当に果たされているのだろうか。書き方を教えるはずの学校で文章の書き方が教えられていないなら、誰が教えると言うのだろうか。いま一度、生活綴方の伝統の復権が必要であるかもしれない。
第5章
フレイレVSイリイチ
〜自分が「何故か」離れられないフレイレとイリイチ。
そんな二人との「格闘」。反学校論も加えて〜
Freire, Paulo(1992):里見実訳『希望の教育学』、太郎次郎社、2001。
ブラジルの教育学者パウロ・フレイレ(1921-1997)。彼は対話による教育を生涯実践し続けた人物である。代表する著作は『被抑圧者の教育学』であり、晩年の著『希望の教育学』はフレイレ自身が『被抑圧者の教育学』を読み直したものとなっている。読んでいて気付くのは社会変革につながる識字教育と文化サークルでの対話の実践であり、教育と研究が2つに切り分けられることなく営まれることを提唱する内容となっている。マルクスを土台に理論を立てているのにもかかわらず、フレイレがいわゆる「マルクス主義者」から批判を受けていた理由もよくわかる。いわゆる「マルクス主義者」にとって、マルクスやレーニンの発想がアルファでありオメガである。そこには現実に存在する「民衆」の声を聞く必要性はなく、〈自分たちが民衆を引っ張って革命を導くのだ〉という傲慢な思いが表れている。フレイレの行動は人々との対話のなかにあった。それが「マルクス主義者」とフレイレの実践の大きな違いとなっている。
本書において、フレイレは対話による学び(里見の訳では「問題化型学習」となっている)の重要性を何度も訴える。
「もし他人もまた考えるのでなければ、ほんとうに私が考えているとはいえない。端的にいえば、私は他人をとおしてしか考えることができないし、他人に向かって、そして他人なしには思考することができないのだ」(163-164)
この対話を成立させるには、条件整備が必要である。
「教師の専横下で対話が成立しないように、自由放任主義の下でもやはり対話は成立しない。対話的な関係は、しばしばそう考えられているように、教える行為を不可能にするものではない。逆だ。それは教える行為を基礎づけ、それをより完全なものにし、また、それと関連するもう一つの行為、学ぶという行為にも刻印されることになるのだ」(164)
本書ではフレイレとよく比較されるイリイチとの違いが明確になる箇所がある(そもそも本書冒頭の謝辞の欄には多くの人名を挙げて自らの思想形成の感謝を述べているが、そこにイリイチの名は無い。また本書においてイリイチの思想が直接に言及される箇所はなく、ただ文章の流れの中でのみ数か所イリイチの名が挙げられている)。
「どの時間と空間にも立地しない、抽象的で不可侵な観念だけをとりあつかう中立的な教育実践などというものは、かつて存在したことはなかったし、いまも存在しない」(108)
フレイレは教育を一つの権力であると認めている。どんな教育実践にもイデオロギーが含まれている(例えば、「やる気のない授業をする」と認識される教員は、「学校で一生懸命やるなんて馬鹿げている」というイデオロギーを提示することになる)。フレイレに対して多く寄せられた批判である「教育実践は中立的であるべきだ」との意見に応えたものとなっている。
「基本的にいえば、ぼくにたいしてなされるこの種の批判は、意識化という概念にたいする誤解と、教育実践にたいするあまりにも甘いビジョンに由来するものだ。それは教育実践をあたかも中立たりうるもの、人類の福祉への貢献とみなすばかりで、危険をおかすことなしには実践しえないという点にこそ、教育実践のとりえがあるということが、まるで見えていないのだ」(108)
イリイチも、教育は権力であると認識する(山本哲士はさらに進んで、教育は政治であると指摘する。『教育の政治 子どもの国家』を参照のこと)。違うのはその認識後のふるまいである。教育は権力だ。そのため教育というものは放棄しなければならない、といったのがイリイチである。一方、フレイレは〈教育は権力性を逃れられない。だからこそその権力性を自覚したうえで人々の解放につながる教育実践をすべきだ〉と主張したのである(この対立が明確に表れているのが『対話 教育を超えて』である)。
子どもを子ども扱いする社会への批判。
私は既存の教育学が子どもを「他者」として認識していない点に疑問を感じている。メーハンのIREではないが、教育的眼差しは子どもに「評価」の眼差しをおく。しかし、我々は友人に対して時間を聞いて「ありがとう」と言わず評価のみをすることは全くないはずだ。教育的関係においてのみ、子どもたちは「よくできました」と教育的眼差しで見られる。
共同体社会の時代から共同体維持の成員育成が「教育」で行われてきたわけであるが、その教育自体の持つ「社会維持」の機能についてはあまり批判がなされていない。「子どものため」の「よい」教育であっても、子どもをまさに「子ども」扱いする。幼児段階はそれでいいが、小・中学生や高校生、はては大学生を同じ眼差しでみてもいいものなのであろうか。当然、「教える」エートスが求められるのは現在の社会(後期近代の社会である)そういった姿勢を要求するためである。
その辺りを考察すると、教育的な眼差しをもって子どもを見ることが「気持ち悪い」と思ってくる。教育行為をどんなに奇麗な言葉で飾ったとしても、要は現在の社会の構成員になってもらいたい、あるいは構成員にさせる行為にすぎない。人々がそれに自覚的でないだけである。そのため、子どもに敬語を使ったり、逆に偉そうに振る舞う親や教員・大人たちをみると、その人々が「子どものため」と信じて行っていればあるほど、教育の共同体維持機能を無視しているように見えてしまい、「気持ち悪さ」を感じてしまうのだ。
だからあえて私は考える。思いっきり、「大人げない」態度を子どもに行ってはどうか。無論、ピアジェ的には発達段階論で「大人げない」眼差しへの批判がアルであろう。しかし考えるべきは、我々大人は親しい関係にはまさに「大人げない」態度で関わっているのではないか。嘘をつけば、ネタとして友人を「いじる」。それはまさに汝−我関係という対等の立場に存在しているからである。しかし、子どもに対してはどんなに親しくなっても汝―我関係を成立させることはまれである。
そんな理由から私は既存の教育学を根本から批判する脱学校論(非学校論)や反教育学が好きなのだが、あまり共感がなされないのが現状である。
Freire, Paulo(1992):里見実訳『希望の教育学』、太郎次郎社、2001。
ブラジルの教育学者パウロ・フレイレ(1921-1997)。彼は対話による教育を生涯実践し続けた人物である。代表する著作は『被抑圧者の教育学』であり、晩年の著『希望の教育学』はフレイレ自身が『被抑圧者の教育学』を読み直したものとなっている。読んでいて気付くのは社会変革につながる識字教育と文化サークルでの対話の実践であり、教育と研究が2つに切り分けられることなく営まれることを提唱する内容となっている。マルクスを土台に理論を立てているのにもかかわらず、フレイレがいわゆる「マルクス主義者」から批判を受けていた理由もよくわかる。いわゆる「マルクス主義者」にとって、マルクスやレーニンの発想がアルファでありオメガである。そこには現実に存在する「民衆」の声を聞く必要性はなく、〈自分たちが民衆を引っ張って革命を導くのだ〉という傲慢な思いが表れている。フレイレの行動は人々との対話のなかにあった。それが「マルクス主義者」とフレイレの実践の大きな違いとなっている。
本書において、フレイレは対話による学び(里見の訳では「問題化型学習」となっている)の重要性を何度も訴える。
「もし他人もまた考えるのでなければ、ほんとうに私が考えているとはいえない。端的にいえば、私は他人をとおしてしか考えることができないし、他人に向かって、そして他人なしには思考することができないのだ」(163-164)
この対話を成立させるには、条件整備が必要である。
「教師の専横下で対話が成立しないように、自由放任主義の下でもやはり対話は成立しない。対話的な関係は、しばしばそう考えられているように、教える行為を不可能にするものではない。逆だ。それは教える行為を基礎づけ、それをより完全なものにし、また、それと関連するもう一つの行為、学ぶという行為にも刻印されることになるのだ」(164)
本書ではフレイレとよく比較されるイリイチとの違いが明確になる箇所がある(そもそも本書冒頭の謝辞の欄には多くの人名を挙げて自らの思想形成の感謝を述べているが、そこにイリイチの名は無い。また本書においてイリイチの思想が直接に言及される箇所はなく、ただ文章の流れの中でのみ数か所イリイチの名が挙げられている)。
「どの時間と空間にも立地しない、抽象的で不可侵な観念だけをとりあつかう中立的な教育実践などというものは、かつて存在したことはなかったし、いまも存在しない」(108)
フレイレは教育を一つの権力であると認めている。どんな教育実践にもイデオロギーが含まれている(例えば、「やる気のない授業をする」と認識される教員は、「学校で一生懸命やるなんて馬鹿げている」というイデオロギーを提示することになる)。フレイレに対して多く寄せられた批判である「教育実践は中立的であるべきだ」との意見に応えたものとなっている。
「基本的にいえば、ぼくにたいしてなされるこの種の批判は、意識化という概念にたいする誤解と、教育実践にたいするあまりにも甘いビジョンに由来するものだ。それは教育実践をあたかも中立たりうるもの、人類の福祉への貢献とみなすばかりで、危険をおかすことなしには実践しえないという点にこそ、教育実践のとりえがあるということが、まるで見えていないのだ」(108)
イリイチも、教育は権力であると認識する(山本哲士はさらに進んで、教育は政治であると指摘する。『教育の政治 子どもの国家』を参照のこと)。違うのはその認識後のふるまいである。教育は権力だ。そのため教育というものは放棄しなければならない、といったのがイリイチである。一方、フレイレは〈教育は権力性を逃れられない。だからこそその権力性を自覚したうえで人々の解放につながる教育実践をすべきだ〉と主張したのである(この対立が明確に表れているのが『対話 教育を超えて』である)。
イヴァン・イリッチ著、金子嗣郎訳『脱病院化社会 医療の限界』晶文社クラシックス、1998年
フーコーの関係で言うと、「生涯教育」は一生涯のディシプリンである。恐ろしいことであり、人間はいつまでたっても自由に/わがままに生きることができなくなってしまう。
イリイチはこう語る。もともと、教育の場では限られた場所(学校)で限られた時間に、限られた教科の手ほどきをうけるために教師の前にさらされていたが、「新しい知識の商人はいまや世界が自分の教室だと考える」(197頁)。たえず「学び続ける」ことが強制されるのだ。一見、自律的に見えるが「ムリヤリ」やらされる自主学習であることを見落としてはならないはずだ。イリイチは続ける。「教科の教師は自ら教科をあえて学ぼうとする非学生のみを資格なきものとすることもできたが(藤本注 これも、非常に皮肉で面白い。自発的に学ぶ学生はもはや学生ではないのだ)、一生、くりかえされる「教育」「自覚化」「感性訓練」「政治化」の新しい管理者は、自分が同行しない行動様式をすべて一般大衆の眼の中で貶めようとするのである」(197~198頁)。「一生、くりかえされる「教育」「自覚化」「感性訓練(フーコーの「規律・訓練」だ)」「政治化」」というのは、まさに生涯学習や生涯学習の批判になるものだ。本来、学びは勝手にやるものである。やらなくても別に構わないものだ。それが本田由紀のいうポスト産業社会型スキルでは常に学び続ける姿勢やモチベーションや「さわやかさ」が求められる。人々が無理矢理学ばされ、それを「生涯学習」という美談でまとめてしまっている。恐ろしきことではないか。
里見実『パウロ・フレイレ「被抑圧者の教育学」を読む』太郎次郎社エディタス、2010
この本を私は、長野に向かうバスのなかで読んでいた。高速道路から見える緑の風景。ブラジル生まれの教育学者パウロ・フレイレが活躍したのも、こんな景色の中であろうか。残念ながらブラジルに行ったことがないので詳しくは分からないが。
本書はフレイレ(1921-1997)の著書『被抑圧者の教育学』の解説書である。フレイレの教育思想は一体何をテーマにしたものであったかを、著者の里見は検討していく。
フレイレは教員の一方的な教えこみによる教育を「預金型教育」といって批判をする。預金型教育は人を受動的にしていくからだ。タイトルにあるように、「被抑圧者」にさせられるのが「預金型教育」である。
そうではなく、教員ー生徒、あるいは生徒どうしの対話による「問題化型教育」が必要であるとフレイレは主張した。彼の「識字教育」は「問題化型教育」の実践である。実際にブラジルの農村をまわり、フレイレは「問題化型教育」を行う。それが当局に批判され、ついには亡命を余儀なくされてしまうのであるが。
フレイレが危険を冒してまで実践したこのねらいは何か? それは抑圧を受けてきたものが、教育を通じ、自分自身の主体者となることである。
「『読み手』として世界に向きあうこと、それをフレイレは『意識化』とも呼んでいます。(…)フレイレにとっては、識字は『意識化』と同義でした」(154頁)。
つまり、フレイレの識字教育は世界を読み取る主体に人々を変えていく行為であった。これは受動的な存在から、主体的に世界に関わる存在へと転換することを意味する。「被抑圧者」が、教育によって「人間化」するのだ。「人間化、フレイレの教育学の、これが根幹です」(49頁)と里見はまとめる。フレイレにとっては人間化のために教育が重要なのだ。
興味深いのは、フレイレが書いた次の記述である。「被抑圧者のみが、自分を自由にすることによって、抑圧者をも自由にすることができるのだ。階級としての抑圧者は、他者はもちろん、自分をすら、自由にすることができない」(85頁)。被抑圧者が「人間化」され、自由になるとき、はじめて抑圧者自身も自由になる。人が人を抑圧するということも「非人間化」されているのである。
フレイレの本を読むと、あらためて教育の意義や「輝き」を感じられる気がする。
『学校の悲しみ』としてのイリイチの教育観
ダニエル・ぺナックの自伝的小説に『学校の悲しみ』がある。落ちこぼれとして過ごし、学校に対し深い「悲しみ」を持って過ごす主人公の姿が印象的である(しかし彼は結局は教員になり、ずっと学校にとどまり続けることになるのだが)。
「落ちこぼれ」へのまなざしは、しばしば小説や映画のテーマとなる。映画『大人は判ってくれない』の主人公の少年の姿から、学校に「不適応」とされることの「悲しみ」を感じ取ることが出来る。この悲しみはブルデューのいう「象徴的暴力」である。
この「落ちこぼれ」へのまなざしであるが、イバン・イリイチの発想の原点にも存在している点に気付くようになった。彼は脱学校論deschoolingで有名だが、それを主張した理由の一つに皆が「学校化schooled」されることで「学校の悲しみ」を経験するようになる、という点がある。
「人の受けた教育化の分量が多ければ、それだけ中途脱落の体験は気持ちを打ちひしぐものとなる。第七学年で落ちこぼれたものは、第三学年で落ちこぼれたもの以上に、自分の劣等性を強く感じるものだ。第三世界の学校は、かつての教会がやっていたよりもさらに効果的に、特製の阿片を投与している。社会の気持ちが次第に学校化されるにつれ、それを構成する個人も、何とか他人に劣らずに暮らしてゆけるかもしれないという意識を段々と失っていく」(『オルターナティブズ 制度変革の提唱』220頁)
他の個所でも、第三世界(いわゆる途上国)に学校を建設することは、今までに人々が経験しなくてもよかった「落ちこぼれ」る体験を多くの人びとに与えることとなる。学校から落ちこぼれ、ドロップアウトしてしまうと、精神的に自己否定されるだけでなく、学校に残り続けることのできる一部の人間がより多くの公費で高度の教育を受け、社会の上層に到達するのを黙って見つめなければならない。
「プエルトリコでは一〇人の生徒のうち三人が、第六学年も終わらぬうちに学校から落ちこぼれる。このことは、平均以下の所得の家庭からくる児童の場合、二人のうちわずか一人しか初等教育を修了しないことを意味する。こうして、プエルトリコの両親のうち半分は、もし彼らの子供が大学に入るチャンスが見せかけだけでなく本当にあるのだと信じているとすれば、悲しい幻想にとらわれていることになる」(ibid,173頁)
ブルデュー等の再生産論者の言を用いるなら、高い文化水準のもとに育つ人々(高ハビトゥスをもつ人)は学校においても好成績を修められる「遺産相続者」(『遺産相続者たち』)である。そのため他の人々よりも高等教育進学の可能性が圧倒的に開かれている(『再生産』)。
学校制度がなければ、学校由来の「悲しみ」を経験しなくても済んだのだ。学校への違和感から自殺をした小学生・杉本治の遺書にも「学校がなければみな自由だった」(『小さなテツガクシャたち』)と書かれていた点は示唆的である。
学校制度を確立させることは、ユネスコや国連が早急に途上国に求める政策である。実際、途上国に学校を作るプロジェクトは数多い。私たちはその取り組みを手放しで礼賛する。どこかで「学校の悲しみ」に出会った経験があるはずなのに。学校制度が出来ることは、「学校の悲しみ」をその国民全体が経験させられることを意味するのである。
奥地圭子『学校は必要か』NHK出版、1992
東京シューレが出来て7年目に出た本。その時点での奥地の著書に『女先生のシンフォニー』(これは教員時代の1982)、『登校拒否は病気じゃない』・『東京シューレ物語』・『さよなら学校信仰』・『お母さんの教育相談』・『登校拒否なんでも相談室』があり、手記収録に『学校に行かないで生きる』・『学校に行かない子どもたち』がある。シューレ発足からわずかの間にかなりの関連書が出されていることがよく分かる。当時、東京シューレという存在は非常にもてはやされた。現在はあちこちに「フリースクール」が出来たため、東京シューレそれ自体への注目度は人々の間で下がったのではないか。
「不登校」と言わずに「登校拒否」と言っている所に時代を感じる(奥地が後に書いた本は『不登校という生き方』である)。
本書は「学校離れを起こしている子どもたちを『直そう』とするのではなく、子どもが背を向けていく学校を問い直すことの方が必要である」(222頁)との発想から《「どんな学校なら必要か』を考えてほしいという問題提起》を起こす、という目的のもとで書かれている(あくまで目的の一つであるが)。学校へ行くことで個性が失われたり、子どもが無気力になったり、(いじめなどで)傷ついたりしてしまう。それでも大人(親・教師・一般人)は「それでも学校へ行け」と子どもを責める。重要なのは学校のあり方を考えることであるにもかかわらず、子どもをムリに学校に適合させようとする。これはベッドに合わせて人を引っ張って伸ばしたり、足を切断したりするというプロクルステスのベッドと同じである。
印象深い点を引用。
東京シューレをやるようになって、はっきりと見えてきたことだが、教師時代の研究授業や研修の方向は、四十人なら四十人の子ども全員を、一斉に、四十五分間いかにこっちを向かせるかの技術訓練だったのだと思う。(73頁)
子どもは何らかの強制力がないと勉強しないものだ、学ぶはずがない、だから子どものやる気を待っていてはダメで、大人が何かやらせないと、楽なほう(やらないほう)に流れるに決まっている、それでは生きていけるようにならない、と思っている大人は実に多い。「でもそれは違う」という私の考えはまちがっていなかった、と東京シューレ七年の実践で思えるのはうれしいことだ。(89頁)
奥地が指摘する点、結構多くの人が話す内容である。子どもに自由を与えるのは危険だ、などなど。これ、子どもを不信の目で見る立場である。ニイルほど信用するのも危うい気がするが、それでも現在の日本では子ども(さらに言うなら若者)への根強い不信感が漂っているようである。だから子どもを縛るためにココセコムやら改札を通るたびの「お知らせメール」やらの技術開発が要求されるのだろう。まさに「学校身体の管理技術」が発達し、子どもがどんどん不自由になっているのだ。
私たちはもっと子ども(や若者)を信頼してもいいのではないだろうか。そう思う。
H小学校・研究授業の「思い出」。
一昨日、はるばる北日本まで行き、公立・H小学校の教育研究会に参加した。これは公開授業を全校的に行う実践である。もう20年も前からこのような実践が行われてきたという。
よくよく考えると、公開授業とは奇妙な現象である。生きた人間たちを、彼らより年長の人間たちが「観察」の対象にする。要は小学生版「動物園」なのだ。よく思想家は「動物園」を近代の特徴のように語る。それは観察される客体と観察する主体とを明確に二分割するからだ。中世的な「見世物小屋」と違い、「真面目」な「研究」の対象と取り扱われる。
ミシェル・フーコーは〈見る―見られる〉関係性のうちに権力作用を見出した。とすれば、この授業研究会というのは大人の側が小学生たちを「監視」する権力作用以外の何物でもない。小4のクラスを「見学」する中でそれに思い至り、思わず気持ちが悪くなったのを覚えている。
この小学校の児童たちは、興味深いことにこれだけ多くの大人たち(下手をすると、クラス内の児童と同じくらいの人数。しかも大半は「先生たち」である)に「見られて」いながら、普段通りの姿を見せてくれる。ある子は机に突っ伏し、私語し、鼻に人差し指を突っ込む(そこまで「観察」してしまう私は、すっかりゾウの檻の前に立って見ている動物園の客である)。巧妙に訓練を受け、餌付けされた「動物」たちの姿を思い出す。とすれば教員は調教師なのか。フーコーが「よきディシプリン(しつけ)はよき調教である」と述べた通りだ。
授業が終わった後の分科会という「反省会」も非常に「面白い」。先ほどの授業中の「~~君」「~~さん」の言動が問題にされ、それに対する教員の今後の「教育」方針が語られる。この場において、生きた人間の処遇が語られる。語られた生徒は、そんな話し合いの存在を知る由もない。おまけにコメントするのはもう二度とこの小学校に来ない人々なのである。そんな人間たちによって、小学生たちは勝手に今後の生き方を決めつけられてしまうのだ。これを権力作用と呼ばずに何と呼ぶべきなのか。
追記
●教員の語りに耳を傾けなければ、評価されることのない小学校の退屈さ。それこそ鼻でもほじるしかやることはない。対話は成立せず(1対30の営みは「対話」ではない)、教員の語りは児童の耳から抜けていく。
●私は研究授業や公開授業では、児童・生徒を観察する人を「観察」するのが趣味である。観察する側は、意外に無防備なので「素」が出るのだ。これはツタヤにおいてDVDを探す人を見る「楽しさ」と同じである。いかがわしいDVDを真剣に見つめる人を見るのはなかなかに愉快だ。
●教員たちの軽々しい「皆が仲良く過ごしました」という言説に気持ちの悪さを感じる。この一言には恐るべき「圧力」がかかっているのではないか。「仲間」という言葉や「学びの共同体」という言葉。これらの言葉のネガティブな部分に、本当に目がいっているのか? 「仲間」を構成するのはピア・プレッシャーでもある。つまり同調圧力。少しでも異なる「他者」を排斥する働きが裏にはある。その恐ろしさを知らずに軽々しく「皆」とか「仲間」とかいう言葉を使うべきではない。そう思う。
●教室の後ろの置かれた飼育小屋。いくつも並んだその姿が、私には複数の「棺桶」に見えた。飼育される動物たちは、はじめは可愛がってもみくちゃにされ、飽きられれば餌もやり忘れられるようになり、やがては知らないうちに「死んで」しまう。教員は死ぬことを予期した上でその死体を「デス・エデュケーション」の「教材」にする。そう、はじめから飼育動物たちは「死ぬ」ことを想定されているのである。ペットであればそうではない。
恐るべきは学校である。どんな存在も「教材」にされてしまう。動物も、その辺にいる地域住民も、駅のホームレスも、すべてが「教材化」。この権力性についても、考察をしていきたい。
原ひろ子『子どもの文化社会学』(晶文社、1979)
我々は教育というものはあらゆる人間社会に普遍的に存在するものである、と考えている。本書はヘヤー・インディアン社会をもとにして、人々の思い込みを打ち砕いてくれる。
ヘヤー・インディアンの話すヘヤー語には「だれだれから習う」「だれだれから教えてもらう」という表現が存在しない。
ヘヤー・インディアンの文化には、「教えてあげる」、「教えてもらう」、「だれだれから習う」、「だれだれから教わる」というような概念の体系がなく、各個人の主観からすれば「自分で観察し、やってみて、自分で修正する」ことによって「○○をおぼえる」のです。(180頁)
彼らの世界には「教えてもらう」ということはなく、「自分で学ぶ」ことしか存在しないのだ。狩猟の仕方も皮のなめし方もカヌーの作り方も、大人がするのを見て自分で試行錯誤して学ぶ。自律的・自発的・能動的な学びが実現しているのだ。
現在の日本社会では、この自発的な学びが無くなり、「他律的・強制的・受動的にさせられる行為に転化していく状態」(イリイチ『脱学校の社会』)となっている。言葉をかえれば、「学習のほとんどが教えられたことの結果だ」(『脱学校の社会』32頁)と勘違いをしてしまっている。教えられない限り学ぼうとせず、逆に「自分で学ぶのは危険だ」というメンタリティーになってしまう(通信教育が溢れているのは「自分で学ぶのは危険だ」との思想の表れであろう)。この日本の状況を原は次のように説明する。
現代の日本を見るとき、「教えよう・教えられよう」という意識的行動が氾濫しすぎていて、成長する子どもや、私たち大人の「学ぼう」とする態度までが抑えつけられている傾向があるのではないかしらという疑いを持つようになりました。(175頁)
まさにイリイチが批判した「学校化」が日本で起きているのだ。原は日本社会をみて《子どもも、青年も、「教えられる」ことに忙しすぎるのではないかと思うようになりました》(201頁)とも書いている。本来、「教える」のは一人で生きていける/一人で学んでいけるようにするために行う行為であった。けれど、「学校化」され「制度化」された日本社会では皆が「教えられる」ことに忙しすぎるようになってしまっているのだ。だからヘヤー・インディアンのように「学ぶ」ことを重視した生き方が必要ではないか、と原は提案している。
最後に、私にとって興味深かった点を紹介しよう。
「教える」、「教えられる」という概念がない、ひいては「師弟関係」などが成立しないという、このヘヤー文化の基礎には、「人間が人間に対して、指示・命令できるものではない」という大前提が横たわっているのです。ここどえは、親といえども子に対して指示したり命令したりすることはできない、と考えられているのです。人間に対して指示を与えることのできる者は、守護霊だけなのです。(187頁)
追記
原のいうヘアー・インディアンの社会は前近代社会である。マルクスによらずとも、上部構造は下部構造に規定される以上、現在の社会状況の中ではヘアー・インディアンも近代教育を行わなければならなくなる。世界全てが「近代教育」でしか産業社会で生きていけないのは誠に遺憾なことである。しかし国連やユネスコの計画でも、近代教育の実施(要は学校の導入)が目標になっている以上、「近代教育」以外の選択肢はなくなっている。無論、「近代教育」の中でフリースクールやシュタイナースクールという「オルタナティブ」は存在しているのではあるが。
第6章
「暗い」自分への餞
〜「暗」くなったり、「明」るくなったり。
いろんな自分との「自己との相互作用」〜
努力シンドロームの彼方に。
久々に落ち込んだ。もう1週間になる。私は自分が不要だ、と感じるときガクッと落ち込むことが分かった。サークルにしても、ボランティアにしても、「あ、俺いなくても大丈夫かもしれない」と感じたとたんに落ち込む。今回もそんな文脈の中で落ち込んだ。
宮台真司は『14歳からの社会学』において「代替可能性」というキーワードを提示した。自分の存在の代替不可能性を感じられない限り、生きている実感を失ってしまう、という文脈で語られていた。要は、「自分でなく、他の誰かでも構わないのではないか」という思いのことである。いまの私にも当てはまる。「俺なんて、いなくてもいいんじゃないか」と感じるとき、私・藤本研一という人間の「代替可能性」を感じてしまう。
この現象は再帰性(ギデンズ)に特徴づけられた近代社会特有のものである。再帰性を英語で書くとreflexivity。絶えず自分自身を「振り返り」(=reflective)、自分の行為の結果について考察をしていく態度のこと。
「自分とは何者か?」を、近代社会では誰も教えてくれない。前近代の共同体社会では「〜〜さん宅の息子さん」というアイデンティティがあった。生き方にしても、「まあ、親父と同じことをして一生を過ごすのだろう」という自明性があった。いまはそれが無い。だからこそ、絶えず自らを「振り返」り、自らを作り替えていくことが必要となった。
この「振り返り」は、非常に面倒なプロセスである。中学生時代、何か行事の度に「反省会」が行われたことを思い出す。「もっと早く準備をしていればもっとよい企画になったと思います」という意見表明が連発される会議室。子どもながらに生産性のなさを感じていた。再帰性とは、要はこういうことではないか。面白くもなく単調な「反省会」を自らのうちで何度も何度も行う作業。そのうち「自分は何者か」判明する時もあるが、基本的にはただ「振り返る」だけで終ってしまうのではないだろうか。それこそ「反省会」を「努力して」行うことが必要なのだ。
自分に必要なスキルを、自分で計画して身につける。それだけでなく、「自分は何者か?」「自分は何をしたいのか?」常に考える必要のある近代社会。「努力」し続けないと生きれないように巧妙にプログラミングされた社会である。まして都市に生活していると、日常的に「努力しない」存在の比喩としてホームレスの存在が目に入る。いやでも「努力」が要求される。けれど「努力」は楽ではない。にもかかわらず努力しないと地位やアイデンティティの獲得が手に入れられない。
本当に生きにくい社会である。
考えてみれば、「俺はもうダメだ」という状態を「振り返り」の結果として受け止めるのも、ある意味で自分のアイデンティティを形づくったこととなる。自ら「ダメ人間」を名乗るのだ。「ダメ人間」を名乗るとき、とりあえず「自分は何者か?」という問いにはきちんと答えがである。けれど私の自尊心はその状態で満足させてくれはしない。
「ダメ人間」で満足できないのなら、結局自分自身で「努力」して自分を「向上」させる必要が出てくる。…ああ、努力しないと自分のアイデンティティを獲得できないのか。努力しないと「代替不可能性」に気づくこともできず、この「落ち込んだ」状態からの離脱も図れない。
いまの状態からの解決方法は見えている。なのにその方法である「努力」をしたくはない。…この「救われない」状態から、どのように抜け出すか? 「努力」して方法を探し出すことにしよう(トートロジーである)。
努力教、あるいは努力「狂」。
なかなか生きづらい世の中である。そう感じるのには理由がある。この世の中は常に「努力」を要求するためだ。いわば「努力教」(あるいは努力シンドローム)に形づくられているようである。
努力しないことも、大事なのではないだろうか。昨年以来の勝間vs香山論争は、結局の所、「頑張る」「努力する」ことへの違和感を人々が潜在的に求めるようになったことの結果ではないだろうか。
努力やガンバリズムを否定して生きていきたい。学習においてもそうである。「勉強」という言葉は「強いて勉める」と読む。それこそ「努力」シンドロームの現れた言葉だ。
よく人間の尊厳として過酷な状況を努力して乗り越えた体験が語られる。会社再建の「美談」も、基本的には資金繰りに昼夜走り回った「努力」の結果として語られる。しかし努力とはそれほど美しいものなのだろうか? 「ほどほどに過ごす」のは駄目なのか? 皆が「頑張る」社会は病んでいる社会である。
現在の状態で誰も満足してくれない。これは文明を進める要素ではあるのだろうが、『成長の限界』(ローマ・クラブ)以降の社会ではそろそろ「努力の終焉」を語ってもいいのではなかろうか。
苅谷剛彦はインセンティブ・デバイドの存在を「嘆いた」。所得下位層に生まれた子どもは学ぶ「意欲」や努力する「意欲」が少ないという「格差」があると主張したのだ。けれど、考えてみれば努力するという「意欲」に格差が出るということは、「努力」の終焉に一部の人間が気づき始めた良い「兆候」とも言えるのではないか。
ほどほどのところで、ほどほどの人生を送る。これでいいんじゃないだろうか。確かに「階層の固定」と言って批判する人もいるだろうが、本田由紀のいう「ハイパー・メリトクラシー」下で要求されるスキルについて考えてほしい。常に自らの向上を目指し、「さわやかに」努力し続けるスキル。本田はハイパーメリトクラシーが「努力し続ける」姿勢を要求することを描くことで社会批判をする。そうである以上、「ほどほど」(昔の宮台真司は「まったり」と言った)の生き方は、社会改革の一つのファクターであるように思われる。
ニートでも、フリーターでも人は生きていける。何も努力するだけが人生ではない。
追記
お笑い芸人の進路は問題にされないのに、なぜ院生だけは問題にされるのでしょう?
隣家の窓。
ヒッチコックの『裏窓』(原題 Rear Window)を見ている。カメラマンの住む家の窓から見える殺人(のような)劇。カメラマンは窓から絶えず「容疑者」を観察し続け、犯行の内容を推理し続ける。自分の行動が実は誰かに観察されているかもしれないということがこの映画のテーマである。自分のプライベートが他者に見られていることを意識すると、何も出来なくなる。近代社会は「儀礼的無関心」(アーヴィング・ゴッフマン)を行うのがルール。「相互行為の同じ物理的場面に居合わす人たちが、互いに相手の存在に気づいていることを、相手に脅したり過度になれなれしい態度をとらずに相手に明示する過程」(ギデンズ『社会学』用語解説)。それが「儀礼的無関心」。他者に過剰に干渉せず「見て見ぬ振り」をすることである。誰かに見張られていると感じると、我々は何も行うことが出来ない。ましてプライベートなことを。
寺山修司の映画『田園に死す』を見ると、前近代社会において覗きが日常的であったことがよくわかる。障子の穴から他人を見つめる隣人たち。同質性を要求される中世的共同体では、相互に監視しあい、目立ったことができないようになっている。
近代の都市的生活では、「隣は何を/する人ぞ」。隣人と一切会わないまま生活することができる。
もし隣人がこちらの行動を覗き見たり盗聴したりしていると想像するならば、もはや生活することはできない。それゆえ窓にはカーテンを閉め、鍵は二重にし、防音性を考慮した家作りをするのだろう。
私のアパートは窓が一つしかない上に、暑さがこもるため、夏にはとても過ごせない場所である。自然と下着に近い格好で家の中を暮らすことになる。この姿が他者に覗かれていると想像するととても生活できない。
近代社会では意外なことに、「人は覗きをしないものだ」という性善説に基づいて人々は暮らしているのである。前近代社会では障子の隙間・板戸の間から人々の生活(特に夜の生活)が日常的に覗かれている恐れがあった。
そういえばフーコーは「見るー見られる」関係に権力構造を見いだした。この映画での絶対的な権力者は一方的に覗きを行うカメラマンの男である。あとの者は彼に「見られる」客体にすぎない。
映画のクライマックス。覗いていた相手であるセールスマンが覗き主の家にやってくる。目撃者である彼を殺そうとして。これは「見るー見られる」関係が存在することに怒る近代人の比喩であろう。
「教育化」される社会。
現在は教育が産業になる時代。あらゆることが教育に結びつけられる。例えば中学受験。昨年のプリジデント・ファミリーでは「父親力」なるものが要求されている。父親として子どもを適切に褒めたり叱ったりする力のことを言うらしい。
現在、個人のあらゆるエネルギーが教育的価値の実現のために使役させられる時代になっているように思われる。
カントは確かに〈人間は人間に教育されなければ、人間になれない〉と言った。それゆえ、親は子どものために/教師は生徒のためにひたすら自己犠牲的に教育に徹することが美談とされている。
城山三郎の小説『素直な戦士たち』を思い出す。子どもを東大に入れることを夢見る女性が、そのためだけに結婚・出産し、徹底的に「東大に入れる」ために教育を行う。そのために徹して自己犠牲。「願掛け」として化粧を絶ち、子どもの教材には金を惜しまない母親像。これ、子どもからすると相当な負担である。親がそこまで「自分のため」にしてくれるのを見ていると、押しつぶされるほどのプレッシャーを感じる。
昨年話題となった『東大合格生のノートはかならず美しい』(太田あや)には、「家族力」で合格した受験生の姿がドキュメントされている。タイトルもズバリ「『家族力』があったから東大に合格できました」。「合格へ向け家族一丸となる」という言葉が紙面に踊る。車いすに載った祖父も両親も、子どもの東大合格をあらゆる点でサポートする。家族全員の記念写真に写った笑顔。それを見て、急に怖くなった。もしこの受験生が不合格だった場合、家族ははたして成立しているのか、と感じたのだ。現在の『素直な戦士』であるように感じた。
子どもの教育のために一生懸命働く親の存在。これは美談である。教育熱心な人は賞賛されるばかりで非難されることはない。しかし、この姿は同時に、教育のために人々が犠牲にされている姿の表れでもある。よく考えると悲しい光景だ。子どもの教育を行うために、人々から「自分」がなくなっていく。シングルマザーの出てくるドラマにも「あなたが居なければ再婚できるのに」と子どもにつぶやくシーンが印象深い。
『子どもからの自立』(伊藤雅子)という本にも、この考えがあらわれている。子どもの教育に熱心な母親という「母性賛美」。社会は「母性賛美」をすることで、母親たちに子どもの教育のために自己犠牲をすることを強制している。そのため「母性賛美に陥れられることなく、追い込まれた道を自分の選択だとたぶらかされることなく、女の向上心や生真面目が巧妙に搦(から)めとられる危険を見ぬいて、自分の人生を生きる」(ⅷ頁)ことが必要なのだと筆者は語る。
魯迅の言葉にこのようなものがある。〈若者の育成のために血を垂らすことは、我が身を削ることになったとしても楽しいものだ〉。「教育の持つ輝き」を信じていた頃、この言葉を感動して私は受け止めていた。しかし、今の私にはマゾ的行動のように思ってしまう。
教員も親も、一般的に優しい。ゆえに軽々しく他人(子ども)の犠牲/他人の手段になってしまう。この傾向は正しいのだろうか?
M・ウェーバーは『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』において、プロテスタンティズムの教義が人々に働くことを「人生の目的」と規定するようになった、と説明する。人々のあらゆるエネルギーや時間が「労働」にかけられていく。「世俗内禁欲」を訴え、人々が欲望の充足をすることなくひたすら労働に意識をかけるようになる。いまの社会はすべてが教育に結び付けられ、教育的価値の実現のため簡単に自己犠牲が説かれる。皆が「美談」と感じる。…冷静に考えると、おかしなことではなかろうか。
教育が重要だと言えば言うほど、あらゆるエネルギーが教育に一本化される。エネルギーの提供側はいつまでたっても自由になれず、教育される側はあらゆる教育者の「期待」に応える必要がある。私も言われてきた。「いまの日本社会の問題の解決は君たちにかかっている」。今まで教育されてきたのはそのためかよ。いささかの苛立ちを感じてしまう。
こんな私もやがては学校教員になるだろうし(院生が生活していく一番手っ取り早い方法)、結婚したら子どもを持つことにもなるだろう。そのときに、「子どもの教育が大切だ」と考え過ぎると、「自分」の生活が無くなってしまうような気がしてならない。けれど、誰もそれを真面目に考えようとしない。私のような発言は「クレイジー」として片付けられてしまうのが、いまの日本の悲しい点である。
たかが受験ごときで…
修論で書く関係上、受験勉強法の本を本屋であさっている。
勉強法の本のタイトルや中身は色々と面白い。たかが受験ごときで「科学的勉強法」や「脳科学に基づいた」学習法が語られる。「孤独に打ち勝つ力をつけよ」とアドバイスされ、「死ぬ気でやれ」と訴えかけられる。
受験生当時、私はこれらの本を購入し、読み込み、そして必死に勉強をした。けれど大学を卒業した今から思えば、「たかが受験に、なぜここまで熱心にやる必要があったのだろうか」と疑問を感じる。
「東大脳を作る」という言葉や、受験合格のための「食育」本。どっかの塾や予備校のヨイショ本(宣伝本)に怪しげな記憶法の本。これらを見て、受験生が踊らされているように感じられてしまう。
勉強の仕方くらい、自分で決めさせてほしい。自分でやらせてほしい。山本哲士の名言「ほっといてくれ!」はこの状況でも有効である。
そんな風に今の私なら思うが、これは受験を終えた立場だからこそ言えることなのだろうか。学習参考書や受験勉強の「仕方」について書かれた本を目にするたび、受験生がものすごく気の毒に感じられるのである。
まず自分が楽しもう、元気になろう。
村上龍の書いた『「教育の崩壊」という嘘』(NHK出版、2001年)を読んでいる。
そこに心理カウンセラーの三沢直子との対談が掲載されている(厳密には妙木浩之もいるため鼎談である)。次に引用するのは三沢の発言だ。
子供が生まれると必死になって自己犠牲的にやらなければいけないんじゃないかという気持ちにとらわれてしまうのです。(…)「目から鱗」だと思ったのは、いくら献身的に親がやっても、それで鬱々としていたり、つまらなそうな顔をしていたりするのを見せるのは決して子供にとっていいことではない、ということです。自分の人生をもっていて、人生は生きる価値があるんだ、楽しいんだというモデルを示すことこそ大事なんだと言われて、そうなんだよなと、もう一度思い直したんです。(153~154頁)
そのために三沢は「2年ぶりに映画に行き、3年ぶりにコンサートに行き、7年ぶりに海外旅行」に行く。1週間のニューヨーク旅行から帰ってきたとき、子どもは「お母さんはお姉さんのようになって帰ってきた」と言った。生き生きとして、楽しそうな姿から子どもはこのような発言をしたのであろう。旅行で母が不在の間は寂しくても、「お母さんが生き生きとしてくれるならば行ったほうがいい」と子どもが語ってもくれたそうだ。
この部分からは子育てだけではなく、人生の智慧についても読み取ることが出来る。自分が楽しんでいないと、まわりも楽しくなくなる。たとえばレストランのウェイターがすごく不機嫌に働いていると食事も不味くなるが、すごく楽しそうに働いているとき味も良くなるように思える(マクドナルドのハンバーガーがいくら不味くても食べられるのは、店員さんが笑顔だからだろう)。
自分自身が楽しく生きていないと、子どもを育てたり、人を励ましたりすることができない。
「つらいけど、頑張ろう」というのは禁句にして、まず帰り映画館に行って「自分が楽しむ・元気になる」ことを優先すべきではなかろうか。
epilogue
さて、延々と続いた藤本研一のモノローグ、如何だっただろうか。
編集してみると、自分が意外にイリイチに関して「今年も」たくさん書いていたことに驚いた。思えば私が教育社会学の「院」に進むことになったのは『脱学校の社会』のお陰であった。
いつかイリイチの乗り越えが必要なのだが、どうもそんな気にはならない。目前にある修士論文に何を書くか。もうしばらくの考察が必要だ。
そんなところで筆を置く。
前回同様、わが早稲田大学・教育学部同期の見栄春代君にイラストを書いてもらった。やはり絵があるかどうかで本の見た目も完成度も変わってくる。ありがとう。
2010年3月19日未明
東日本大震災で、大学の授業開始がゴールデンウィーク後になることが発表された翌日に。
藤本研一
著者経歴
藤本研一(ふじもと・けんいち)1988年、兵庫県に生まれる。
2010年、早稲田大学教育学部卒業。同大学大学院・教育学研究科修士課程在学。教育社会学者を志望。著書(すべて自己製本)『高校生に語るポストモダン』(2009)、『学校的日常の彼方へ』(2010)。
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初出一覧
Ishida Hajime’s blog (http://zaggas379.blogspot.com/)
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2010年3月25日 第1版第1刷発行
著作集『晴れた日には二杯めの珈琲』
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著者 藤本研一
発行者 藤本研一
イラスト 見栄春代
発行所 学校法人 早稲田大学 22号館1階併設プリンター
印刷・給紙人 藤本研一
製本所 藤本研一事務所
